2010年10月27日水曜日

そもそも合唱をなぜ始めたのか

今回は、ちょっと遠い記憶を掘り起こしてみようと思います。
そもそも、私はなぜ合唱を始めたのでしょう?
多分、あれは高校2年のときだったと思います。私は物理部という超カタそうな名前の部活をしていました。といっても、ほとんど活動の実態は無いに等しい状態でした(私はなぜか部長をやらされていた)。物理部の一年先輩のN氏の「ちょっと音楽部に遊びに来いよ」という言葉に特に何も考えずついていったが最後、ほとんど無理矢理音楽部に入れさせられてしまったのです。
ちなみに、このN氏は大学まで同じになり、大学の合唱団でも一緒に活動しました。昨年の委嘱作品初演のときに久しぶりに会えてとても嬉しかったです。しかしお互い歳をとりました・・・。

それにしても、まあ男が合唱を始めるなんてだいたいこんなものかもしれません。
当時の音楽部は十数人程度で、特に合唱有名校でも何でもない我々の学校は、先生が勝手に好きな曲を持ってきて、学園祭や定演でそれを発表するという活動でした。それでも毎週練習しているうちに、物理部には絶対いない女子もいるし、上級生や下級生とも親しくなっていって練習に行くことが楽しくなります。そして先生が弾くピアノの周りに集まって、音を取ってハーモニーを作っていく快感にだんだんと目覚めていきました。
折しもポップス風の作曲を始めた頃で、自分自身も音楽にのめり始めていました。当時練習したのは、廣瀬量平とか大中恩の合唱曲でしたが、これらの曲にコードネームをふって自分なりに曲研究をしたものです。

当時私が好きだった曲は、例えば廣瀬量平の「海の詩」の中の「航海」。歴史の教科書の中だけにあった邪馬台国がまるで生きた風景となって自分の前に現れ、古代日本に文明を伝えようと意気揚々と船を走らせた人々に想いを馳せることに、たまらない感動を覚えました。
その後にやった「山に祈る」も衝撃的。「誠、誠・・・」のナレーションを思い出します。出てくるのはヌーボー倉田だっけ。今となっては、こういう題材もやや品が無い感じがしますが、高校生の私には強烈な印象を残しました。
あと、思い出深いのは3年生のときにやった「屋上の狂人」というオペラ。なぜか主人公であるテナーの狂人役を、ベースの私がやらされることになったのです。後にも先にも、物心ついて人前で演技をしたのはこのときくらい。最後の山場のアリアでは、音が高くて声が出ず、先生から「適当にベースが歌えるように、音を変えて」とか言われました。今、楽譜を取り出すと三度とか五度とか下げて、私が歌えるように小さな音符が書き加えてあります・・・。

結局私は学生時代コンクールに出たことは無かったのですが、かえってそのおかげで、人数は少なく実力もボロボロだったけれど、合唱をいろいろな側面から楽しんでいたのかもしれません。そんな高校時代の経験が、今でも合唱を続ける源泉になっているような気がします。

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