2009年6月20日土曜日

プロとアマと才能・・・

しかし、才能って言葉は考えれば考えるほど難しいです・・・
芸術活動をしていれば誰だって才能っていう言葉にぶちあたります。たいていの場合、自分の才能を高めに判定する傾向はありますが、それでも自分には才能が無い・・・と悩むことも多いでしょう。別に、趣味でやっているならそんな大層に悩むことも無いとは思いつつも、もし世間が認めてくれるならプロとしてやっていきたいと密かに考えているかもしれない。(私のことを言っていると思ってますか?まあ、そうなのかも)

才能は一次元的なベクトルを持っている訳ではないし、人は見た目や経歴や性格や、いろいろなものに判断を左右されます。
だから、かたや才能があっても認められない、と感じる場合もあるだろうし、才能が無いくせに活躍していると思われる場合もあるでしょう。
所詮、共同体の最大公約数的なモノが評価され、流行ったりする訳で、それをキチンと把握することも評価されるためには必要だけれど、共同体自体の価値観に幻滅してしまう場合もあります。
恐らくは、本当に才能があっても世に埋もれたまま消えていった人はたくさんいるのだと思います。しかし、彼らは何も残せなかったのではなく、その周囲の人々をインスパイアさせながら、やはり幾ばくの影響を社会に与えていたのではないでしょうか。

現在は、まだプロとアマの差が厳然と存在します。
恐らくそれを規定しているのは、メディアです。ですから、プロ化したい芸術全般が聴衆や観客でなくメディアを向いてしまうのです。
メディアの文化の扱いによって、芸術の有り様は相当変わるように思います。プロとアマの境目が静かに消えつつあるのと同様、メディア自体も変化しつつあります。
個人がラジオ局さえ開設できる時代です。良いリコメンドを提供出来るメディアが支持を広げる社会になれば、またプロとアマの境界も変わっていくし、その結果、芸術における才能の見え方も変わっていくかもしれません。
やや取り留めが無くなりました。

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