2009年6月15日月曜日

某コンクール優勝、そして才能とは?

数日前より、全盲のピアニスト、辻井さんのピアノコンクール優勝のニュースがテレビを賑わしています。
本当にスゴいですねぇ。普通に日本人が優勝したっていうだけで大ニュースですが、ハンディキャップということで、さらに驚嘆に値する偉業だと思います。
もちろんハンディキャップであることは、彼にとって大変つらい事実だし、音楽家としても不利であるはずなのですが、やや穿った見方をすれば、彼はハンディキャップであることを最大限に生かしているとも感じました。コンクールの審査員とて、その要素を全く抜きに審査できたとは思えませんが、それは悪いことだとも私は思いません。なぜなら、ハンディキャップという視点から表出する世界観が、彼自身の音楽の個性になり得るからです。
今回の受賞で、彼は音楽家として華々しいスタートを切ることができましたが、もちろん今後はプロとしての音楽家の真価が問われることになるでしょう。これからの活動に大いに期待をしたいと思います。

たまたまこのニュースの後テレビでは、誰でも才能はあるけれどそれを生かし切っていない、というようなことを言っていました。
もちろん、辻井さんには幸いなことに演奏家としての才能がありました。むしろ、全盲として生まれたことで、その才能に早い段階で気付くことが出来たように思います。それは、まさに不幸中の幸いでした。
しかし、振り返って自分自身にそんな才能があるかと考えてみたとき、そもそも才能があるか無いかを決めるのは一体誰でしょうか? 才能が無いことをどうやって確認することが出来るでしょうか? 一体いつ私たちは自分に才能が無いと諦めるべきでしょうか?
こういう問いかけは悲観的だし、また教育的でもありません。でも、本当は多くの人が人生の中で直面していて、そして納得しないまま自虐的に振る舞っているような気がします。

今回のニュースの中から「誰にでも才能がある」などというお気楽なコメントが出てくるのは、安易な発想です。むしろ、私は可視化できない才能というものに踊らされるより、自分の本当の力を直視できる力を持つべきだとかねてより思っているのです。
才能という単純な言葉で片付けずに、彼の一体何がスゴいのか、彼の演奏そのものを音楽関係者(演奏家、評論家)が分析して、その内容をもっと多くの人に伝えてもらえればいいのに、と私は思います。彼が奏でる音楽そのものが本来、賞賛されるべきことなのだと思うのです。

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