2007年9月21日金曜日

工業製品の芸術性

iPodが売れているのは、スティーブ・ジョブス個人の芸術的センスによるものが大きいのでは、と前に書きました。
最近では、携帯で au デザインプロジェクトなんてのもあって、デザイナーの名前が結構前面に出されたりもしています。そういう例などを見ると、工業デザイナーみたいな人たちが、個人の名前で活躍できるような土壌が生まれつつあるような気がします。

何か電気製品を、例えば掃除機を買いにいったとき、掃除機とは思えないようなとても奇抜なデザインで、聞いたことがあるような名のデザイナーが「私がデザインしました」なんて、宣伝文句が書いてあったりすると、やはり私なんか気に留めるような気がします。もちろん、そのデザインがただ奇抜なだけじゃなくて洗練されていて、センスのいいものだったりするなら、もしかして買ってしまうかも。
もちろん、まだまだ性能重視で買うかどうか決める人もいるし、逆にデザインを強調したようなものを嫌う人もいるでしょう。
それでも、確実に私たちの身の回りのものに、デザイン的な価値観や、そのモノの存在感のようなものを求めている比率は高まっていると思います。

だからこそ、それを選ぶ我々の芸術的審美眼、センスも試されます。
そしてもちろんのこと、そういう製品を作り出すメーカーのセンスも問われます。
では、そのような芸術的センスを持った製品を作り出すには、どのようにしたらいいと皆さんは考えるでしょうか。
敢えて反感をもたれる表現をするなら、会議や議論の中でモノゴトを決めようとすればするほど、商品の持つ芸術的パワーは落ちていくように私は感じられます。

0 件のコメント:

コメントを投稿