2006年11月5日日曜日

複雑化の罠

前回の続き。
どうも私の書きたいことって抽象論になってしまいます。興味の無い人、多そうだよなあ、と思いつつ、もうちょっと思うことを書いてみます。
私の言うところの「単純」というのは、難しいことを考えるのを止めて、そんなの省いていこうよ、というのとは違うのです。むしろ、単純とかシンプルとか言うことを、そういう風に捕らえている人は、逆に複雑化の罠にはまります。ものごとが少ない場合は一つ一つ処理しても良いけれど、その量が莫大になったとき、そのままのやり方を適用しても複雑化する一方です。そういう意味で、見通しが甘い人ほど、複雑化の罠にはまるのです。
実際のところ、ものごとをシンプルに捉える、というのは、非常にセンスのいることなのです。ある事象から、その本質を読み取り、抽象的な性質を引き出し、分類して整理し、同様な考え方を参照する、という能力が必要なのです。
ちょっとピンと来ないかもしれません。例えば、これからあなたは溜まりに溜まった電子メールを整理するとします。
いまは、電子メールは全て「受信トレイ」の中に溜まっています。これでは、昔来たメールを探したり、特定の話題の話し合いを時系列で追ったりするのは面倒です(これが複雑な状態)。一般的には、メールを整理するために、メーラーの中で、受信トレイ以外のフォルダを作成し、各メールをフォルダに分配すると思います。
別にフォルダを作ることによって、特定の人や団体、話題ごとにメールをまとめることが出来、後で昔のメールを探すことも簡単になります。
私が単純化と読んでいるのは、自分にとってメーラーのフォルダの分類をどのようにしたら良いか、という作業に他ならないのです。この際メールを、話題ごとに分けるか、送り先ごとに分けるか、単純に月ごとに分けるか、いろいろな方法があるでしょう。それによって、自分がどのようにメールを管理したいか、ということが問われることになります。

なぜ、これが芸術活動と関係あるかって・・・?
音楽だって、どのように音楽を組み立てていくかを考えたら、まず拍、小節、それから楽節、というようにだんだん部分の大きさが変わっていきます。各楽節が複数集まって、曲の一構成部品となり、それらがさらに集まって、一つの曲を成します。組曲の場合なら、複数曲で一つのステージを作るわけです。
音符という莫大な情報をどのように分類し、整理し、部分に分けることで階層化するか、そしてそれらの各部分の意味は何か、どのように表現すべきか、そういうようにアナリーゼするプロセス自体を整理することによって、初めて本当の意味での単純さが生まれてきます。

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