2006年9月8日金曜日

指揮雑感

だいたい、指揮なんてとてもあやしい役割です。
重要視される割には、上手い下手といった基準もあるようでないし、歌い手側も人によって好みは様々です。

以前、合唱センターに指揮法を勉強しに行ったことがあって(こちら参照)、これは正直言って今でもためになったと思っています。
その理由の一つは、そこで学んだことが指揮で表現したい音楽性云々といったことでなくて、本当に純粋にバトンテクニックであったということがあります。いわゆる斎藤メソドというヤツ。指揮の手の動きを分類化し、どのような箇所でそれを使うか、という即物的かつ実践的な内容でした。
たまたま、そういう経験のおかげで、逆に世の指揮者がいかに自己流で、場合によっては全く解読不可能な動きをしているか、と思うようになりました。

私にとって、指揮者を見る一つの視点は、いかにその指揮が几帳面であるか、ということです。
指揮者というのは、往々にして感情的、扇情的、表現過多になってしまう危険性があります。それは、音楽が表現しようとすることを表情や仕草で模倣しようとするからで、しかし、そんなことはたいていの場合、指揮者本人の独りよがりである場合が多いのです。
私が言う几帳面さとは、例えば、同じような箇所は同じに振り、アインザッツでなるべく次のテンポの指示をしようとし、音量や入り、切りの指示が明瞭な、そういった振り方のこと。それは自然に出来るといった類のものではなく、指揮者が意識的にそうやろうとしてしている積極的な行為のことです。
本番であってもそういう指揮をきちんとしている人は、音楽作りも良く考えているように感じられますし、恐らく練習時の段取りも非常に良く、効率的な練習をしていると思います。
正直、良い指揮者と呼ばれる人が必ずしも几帳面なタイプでないことは良くあることですが、少なくとも几帳面な指揮者は(几帳面でない人より)良い指揮者である、と私は言いたい。

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