2006年8月8日火曜日

応募は迷いの連続

かっこつけても仕方ないので正直に書きますが、作曲コンクールへの応募は迷いの連続でもあります。
そりゃ、応募するのだから入賞したいのは当たり前。応募するという行動は、入賞という大目標なくしては語れません。ということは、応募のために曲を書くということは、どうしたら入賞できるか、と考えることでもあるわけです。
真っ白な五線譜を前にしたとき、作曲家には無限の可能性があります。どんな音符だって書いてもいいんです。しかし、自由さは不自由さの裏返しでもあります。無限の可能性に眩暈を覚え、その不自由さから逃れようとして、様式にすがろうとします。この様式というものを、どういうものと捉えるかで、作品の質はずいぶん変わってきます。
例えば、もう10年以上アカペラを書き続けた私ですが、ピアノ伴奏付きの作曲というのは一つの誘惑でした。もっとも、近頃ピア伴の曲を書いていないし、そんな自分が書いても納得いくような曲が書けるわけはないと思うのですが、それでも毎年ピア伴の曲が入賞していると、やっぱりピア伴かなあ、と迷ったりしました。しかし結局、私は初志貫徹、アカペラで通しました。

賞を取ることと、自分らしさの追及は、微妙にすれ違います。本来、そんなことを意識すべきではないと考える方も多いと思いますが、逆に、それさえ計算ずくで意識すべきだという考え方もあります。そもそも、自分が大切にしようとしている自分らしさが、一般的に評価に値するものなのか、そういう疑問だってあるのです。そのとき、どこまで自分の信念を貫けるのか、私のようなアマ作曲家には何とも判断しがたいのです。だって、私を評価してくれる市場そのものがまだほとんどないのですから。
自分らしさ、あるいは個性、と呼ばれるようなものは、果たして計算して出るものでしょうか?それとも自然と滲み出るものでしょうか?そんな疑問にさえ自分が答えていかなければ、音符を紡ぐ準備さえままなりません。
結局、今の私の心境は、無欲の勝利、などというのはあり得ない、というところに至っています。
間違っていようとも、考えに考え抜くこと、良い意味で計算ずくであること、そしてより抽象度のたかい個性を見つけ出すこと、自分が強く羽ばたきたいなら、どこまでも狡猾であるべきではないかと、今はなんとなく感じています。

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