2005年9月7日水曜日

合唱エンターテインメントを作曲の立場で考える~みんなシリアス好き?

やはり日本人って、芸術というとシリアスでなきゃいけない、という感覚が強いんじゃないでしょうか?
あらためてそう言うと納得してくれる人は多いのだけど、いざ自分たちが何か演奏しようという段になると、みんなやっぱり芸術って高尚じゃなきゃいけない!って感じてるんですよね。もう何百年も前の作曲家なんて神様みたいに崇拝しちゃうし、宗教音楽だけを好んで歌うのもそういう意識があるからだと感じます。
そして邦人曲の場合、メッセージ性の強いテキスト、あるいは内向的で哲学的なテキスト、それに派手なピアノ伴奏を持った劇的な音楽か、ビート感の薄い起伏の少ない音楽がつけられ、深い精神性を持った曲として広く歌われたりする場合が多い(どんな曲が当てはまるか、具体的に想像してみましょう^^;)。

そういった楽曲を否定するつもりは全くありません。音楽芸術のあり方として、創作家が理想を追い求めた結果の一つであることは確かです。
しかし、それが深い考え無しに(見せかけの)芸術の高尚さを有難がる人々の要求に答えたものだとしたら、私はあまり嬉しくない。いつしか創作家自身が、そのようなスタイルの中で高尚な芸術家を気取り始めていくことになるでしょう。しかし、それは部外者からみれば滑稽に見えるだろうし、創作家の態度としてある意味、安易と言えます。
そんな今こそ、エンターテインメントの意識を持って人々を楽しませるという目的で書かれた音楽が必要だと思います。本来、芸術というのはそういうものではなかったでしょうか。新しくて楽しいものが人々に受けるのです。古い価値観の人には受け入れられないかもしれない。しかし、新しい流れが一般化され、その一方人々の興味から次第に外れてしまった芸術は、古典芸能化していくのみなのです。
常に、聴衆に向き合い、コンテンポラリーであり続ける努力が、創作家には必要ではないかと私は考えています。

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