2005年1月27日木曜日

構想とはどこまで

とても有名な作家でも、インタビューなどを読んだりすると、小説のプロットがあまり明確ではないまま書き始めたり、書いている途中にいろいろなアイデアが投入されたりとか、要するに素人が思っているほど、きっちりと構想を建てた上で作品を作っていないような感じを受けたりします。
むしろ、ある作品を書く際、徹底的に取材したり素材を集めたりして、構想やプロットを練って、準備万端整えた状態で書き始めるということ自体、一般的でないのかもしれません。
ところが、一般の方の中には、プロならば事前に構想を練るような、きっちりとした仕事の仕方を絶対しているはずだと確信しているような人も見受けられます。作品の全てを制御していることが、優れた芸術家としての証であると感じるからでしょう。
でも、やはり実際はそうではないのでしょう。理知的な作業は時として、爆発的な高揚感とか、ここしか使えない素晴らしいアイデアとかをスポイルする方向に向かわせます。それが、芸術本来が持つパワーを削ぐことに繋がることが多いと私は思うのです。
作曲の場合、相当理知的な作業だと思われるフシがあり、構想が十分練られていることが前提で楽曲分析されていることが多いように思いますが、どうなんでしょうねえ、もっと芸術って不確かで、曖昧で、非論理的な部分に根源的なパワーがあるんじゃないかって気もするのですが。

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