2014年3月8日土曜日

今さらながらビデオ会議について考える

某有名企業システムの導入で、強力なビデオ会議システムの機能が私たちの職場にも導入されつつあります。
今でも一般サービスとしてはSkypeなどを使って遠隔地と会話することは可能ですし、今さらながら驚くようなこともないとは思いつつも、そういうインフラが各個人の手元に届き、なおかつ簡単に出来るようになることによって、いろいろ興味深いことが起きるのではないかとちょっと感じたのです。

ビデオ会議のシステム自体はもはや珍しいものでもなく、私自身もいくつかの会議で利用したことがあります。それは二カ所の会議室を、部屋全体を映すビデオと音声で繋ぐというシステムで行なわれたものでした。
ただ体験してみると、音声の悪さとか、それによる意思疎通の悪さは如何ともしがたく、その場に集まって話をする会議とはどうしても雰囲気が変わってしまいます。報告のように事実を淡々と述べたり、図を見せたりという用途としてはあり得るけれど、突っ込んだ議論をするにはまだ何か足りない感じがあります。

二つの会議室を音とカメラで繋ぐのではなく、一人一人がヘッドセットとPCのWebカメラを使って何人かでビデオ会議をやるような方式の場合、また印象はかなり異なるはずです。
それは、ある意味、会議のあり方を見つめ直すくらいの変化があるのではないでしょうか。


全く異なる場所にいる複数人数が同時に話が出来る、ということは、一見するととても良いことのように思えます。
しかし可能性だけの問題では無く、そういう状況に否応無しに引き込まれてしまう状況を考えると、やや微妙な気もします。

一つには会議に適当に参加する、ということが心理的に大変難しくなると思います。
普段の会議でもほとんど一言も話さない人たちがいます。今話されている内容に適度に距離を置いていれば、何人かが会話の輪から外れていても会議で闊達に議論している人たちにはあまり気になりません。

でも、ビデオ会議で等価に顔が表示されていると、なかなか一言もしゃべらない、という参加の仕方は難しくなるし、苦痛になると思います。内職をしていれば簡単にバレてしまうし、だからといって自分だけ画像をオフにするわけにもいかないでしょう。
電話と同じで一定の時間を取られてしまうので、話したくない人にとっては余計苦痛です。これに参加するぐらいなら別のことをやりたいと思うかもしれません。

つまり一人一人が端末に貼り付くタイプのビデオ会議はどうやっても、高い参加意識を持たざるを得なくなり、そもそも会議で話さない人は会議にも呼ばれたくないし、呼びたくもなくなるでしょう。そうして会議に呼ばれることは減っていくと思います。それは結果的にその人が意思決定の場から離れていくことを意味します。

もう一つは、こういう会議は国境をまたぐことが予想されるので、必然的に英語を話す流れを加速させるだろうということです。
言うまでもなく、ほとんどの日本人は英語をしゃべることに抵抗があると思うので、いきなり海外からビデオ会議の案内が来たら、これはかなりの心理的な負担です。もちろん、そんなことはすぐには起きないのでしょうが、それでも少しずつそういう流れは起きてくるような気がします。


そんなわけで、そもそもこういったビデオ会議システムが日本的なビジネス環境で普及していくのか大変興味があります。もしかしたら、システムはあれど使う人が増えず、宝の持ち腐れで終わるのかもしれません。

それでも世界的なビジネスを今後も展開していく気があるのなら、こういうシステムに背を向けるわけにはいかないでしょう。
そのためには、こういうシステムに向き合うために、私たちの気持ちも相当バージョンアップしていかないと結局、何だかイヤなもの、にしかならないのではないか、という気がしているのです。

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