2013年6月22日土曜日

新しい働き方としての Make

ここのところ似たようなことばかり書いているような気もしますが、今自分が一番気にしていることだから、気にせず書いてみます。

今、私たちの身の回りには多くの工業製品があります。
しかし、1970年代以降から今に至る、量産化された工業製品を購入するという習慣は、これまでの人間の歴史の中ではむしろ異常な事態だったのではないか、という言説を聞いて、なるほどなあと思ったのです。

工業製品が身の回りに増え始めたのは1970年代以降のこと。
それ以前は、多くのモノが必要に応じてそれが得意な個人によって作られ、壊れたら修理して使うというのが当たり前でした。1970年代以降いろいろな工業製品が大企業によって作られるようになると、一般の人はただそれを買うようになり、壊れても自分では修理できず、新しいものを買わざるを得ない、という価値観が当たり前になってきました。
私たちは、技術が複雑になるほど、工業製品は自分では作れないから、そうなるのは当然のことだと何となく思っていました。
しかし、機械を構成する各パーツが部品化されたり、簡単に作れるようになって、また昔のように個人が必要に応じて目的最適化されたものを作ることが容易になってきたのです。

モノ作りが得意な個人はその昔、近所に点在していました。この「近所に」はネット時代になって、近くである必要は無くなりました。
そして、このような環境が整えられるにつれ、工業製品の作られ方において、時代はまた70年代以前のように元に戻るのではないでしょうか。

これは、工業製品を作るのが大企業の仕事になってしまった現在の働き方を覆すことにもなります。
確かに、企業では多くの人が作業分担をし、それぞれの分担において最適化された仕事がされています。
しかし分業化が進み、業務の個別最適化が進むほど、初期投資も大きくなり固定費が大きくなります。これを解決するために、ある程度の数量を確実に売り切る必要が出てきます。

その一方で、昔から個人個人のニーズはそもそもとても多様だったのです。
その多様なニーズを一台でまかなおうとして、多機能な製品が増えてきましたが、それは使いづらい製品を増やすことにもなりました。
自分が使わない機能など、最初から入っていない方がユーザーとしては嬉しいはず。

そう考えれば、少ロットで痒い所に手が届く用な工業製品は、むしろ大企業でないほうが、開発の小回りが効いて有利になる可能性があるのです。

そして、50年前なら機械が得意だったから、街の技術屋さん、修理屋さんになれたような人たちが、これからの時代、ネット上での技術屋さん、修理屋さん、あるいは用途限定の特殊な製品を作っている人たちにまたなっていくような予感がするのです。
それはきっと楽しい未来になるはずです。

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