2013年4月13日土曜日

アートの力

クリエイティビティが重要だと叫ばれる昨今こそ、アートとは何か、と考えることが重要になると私は思います。
ところが、多くの人々(特にある程度歳を取った男性)は、むしろアートとは距離を取っているように見えます。
何にしろ、「違いの分からない人間」には誰もなりたくないので、分からないものには遠ざかるというのが安全な態度です。ですから、若い頃からアートのことなど考えたことの無い人は、なかなかアートと向かい合う勇気を持ちません。

アート,芸術には相反する二つの側面があると思います。
一つは正解がない自由さ、奔放さを謳歌するような方向性、もう一つはある一定のルールに則ることの美学、一種の様式美のような方向性です。前者を奔放性、後者を様式性とでも呼んでおきましょう。

奔放性とは、感性が中心で、言葉で表現することが難しく、前衛的で斬新であるイメージがあります。何をやっても許されるような前衛芸術のような方向性。
様式性とは、ロジカルに説明が可能で、そのジャンル特有に発達したお決まりのルールの上に根ざした要素。知っているか知らないかで理解の度合いが変わってしまうハイコンテキスト性。伝統芸能のような方向性。

例えば音楽で言えば、クラシックは様式性が非常に高く、ある音楽を理解するためには、どうしても作曲当時の社会状況にまで想いを馳せる必要があります。また、音楽を作るためのルールも大量に定義されており、こういうことをどれだけ知っているかで鑑賞する側の力量も問われてしまいます。
もちろん、ポップスやロックも商業に組み込まれて以降、お約束の多いハイコンテキスト性が高まり、意外と様式性の高い音楽になってしまっている部分もあるかもしれません。
ジャズは奔放性もありますが、それなりにお約束も多いので、様式性も兼ね備えていそうです。

そういう意味では、音楽で最も奔放性が許されるのは、ゲンダイ音楽なのかもしれません。音楽である以上、どうしても最低限のリテラシーや秩序は必要ですが、ときにそれさえも破壊しているものもあります。
しかし、音楽の場合、奔放が過ぎると人々が安心して聞くことの出来ない音楽になってしまう可能性があります。


アートの好き嫌いには、上の二つの要素の組み合わせで考えると分かりやすいような気がします。
アートの奔放性が好きな人、アートの様式性が好きな人、逆にアートの奔放性が嫌いな人、アートの様式性が嫌いな人、というような感じです。

奔放性が嫌いな人は、アートに常にある種のうさん臭さを感じているような人たちです。若い人たちが飛びつくようなカッコ良さとか、ただ単にスタイリッシュに見えるだけなものとか、バカバカしいものにしか見えないものとか。
実際のところ、一時期人々にもてはやされていても、すぐに忘れられてしまうようなものは、中身のないアートなのであって、それを早い時期から気付けるセンスが必要です。奔放性の評価には、知識ベースではなく感性ベースのアートに関するセンスが問われます。このセンスが弱い人は、なにしろアートの奔放性が嫌いになってしまうのです。

次に様式性が嫌いな人は、逆に敷居の高さで入っていけない状況だと思います。
これは多くの人が理解できる気持ちでしょう。例えば私は歌舞伎には詳しくないので、歌舞伎が好きな人が言っている感想や、こだわりを理解することは難しいです。
そうすると、良く分からないから好きでない、という発想になってしまう人も出てきます。どちらかと言うと、自分が詳しくないことをはっきり言って、感想を控える方が紳士的な態度とは思います。

冒頭にも書いたように、クリエイティビティを高める、ということはアートの本質に近づこうとする態度でもあります。
アートの力を高めるために、上記のように奔放性、様式性の両面からアートを捉え、理解していく必要があるのではないでしょうか。


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