2013年4月6日土曜日

私の中のロジック、アート、マーケット

某有名ブログでこんなことが書かれています。

これを読んだ直後、自分の比率はどうなんだろうと考えてみたのですが・・・時間が経つごとに、ようやく分かってきました。恐らく私には、マーケットが足りない。
ロジックやアートは、他人がどう思うかはともかく、自分の構成要素として十分な領域を占めているのだけれど、どうやらマーケットが最も心もとないようです。

正直、これは性格に起因するところなのでしょうが、自分の欲望を表現し、押し通すようなバタ臭さが自分には足りないのです。どうせ思い通りにならないなら、最初から諦めちゃうか、みたいな性根の悪さがどうも深層心理にありそう。だから、ものごとについついシニカルな対応をしてしまう。
しかし、何かをやり遂げようとするなら、まず自分の欲望に忠実に生きるような生命力というか、強引さが在る程度必要なのでしょう。これは決して、押しの強さとか、カリスマ性とかとは同じものではなく、おっとりしていても頑固に自分の思いを押し通す人はいます。

その一方、自分がこれまで意識して重要視していたのは、ロジックとかアートという文脈で語られる部分だったと思います。

ロジックは、理系&技術屋である以上、言わずもがな。
ロジックを追い詰めることには、人によって得手不得手もありますが、それと同時にロジックをきちんと正しく追い詰めること自体に執着を感じる気持ちはとても良く分かります。
これはまさに研究者のスタンス。金儲けが出来るとかそういう現世的な利益があるわけではないのに、何か真理に近づこうとすることを一生懸命考えることを止められないのです。
しかし、こういう気持ちを持っている人がいたからこそ、人類の科学技術が発展したわけですから、マクロ的に見た場合人間の資質にとして重要な指標であるに違いありません。


三つの中で恐らく最も説明し難いのがアートでしょう。
前衛的なアートを鑑賞した後「こういうのは良く分からないよね〜」とか真顔で、憚りも無く主張出来る人は、アート要素ゼロの人です。残念ながらこういう人は世の中にとても多いです。
「分からない」と憚りも無く主張することによって、自分の世界観とは相容れないと宣言してしまっているのです。

アートは分かりやすいものである必要はありません。
後でじわじわ来る場合もあるし、全く共感しない場合もある。共感出来ればラッキーです。後は多くの人がどう感じるかという積分値で勝手に淘汰されるだけです。

そのように考えれば、もっとアートに対して親近感が湧くと思うのです。
何かを伝えたいという気持ちは誰でも持っています。それをどうやって伝えるか、それがアートの最も苦心する点です。
万人に伝わらなくても、ある程度のセンスのある人に深く伝わるのであれば、それは長い目で見て優れたアートになり得るでしょう。
自分がそのアートを理解できるセンスを持てるかどうかは、その人がどれだけ多くのアートに触れたかに影響されます。
個人が持つアート、芸術の要素を高めるには、日頃から、音楽、絵画、造形、映画、文学など、そういうものに触れ続けることが本当に大事だと感じます。
自慢できるほどでは無いにしても、自分はこれまでそれなりにアートには触れてきたとは言えると思っています。

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