2012年9月15日土曜日

視野の広さとは

普通「視野が広い」というのは褒め言葉として使いますが、その意味するところは結構人によって解釈が違うのではないかと思います。

以下はあくまで私自身が(わりと)視野の広い人間であると自負した上で、視野の広さの意味するところを語ろうとする試みですので、そうした偏見が文章にまぶされていることを考慮した上でお読みください。


視野が狭い人は、「視野の広さ」を単に物知りのことだと思う傾向があるのではないでしょうか。つまり、「自分の知らないことを知っている→自分の知らない広い世界を知っている→視野が広い!」という思考パターン。知識は無いよりあったほうがいいですが、それは視野の広さのごく一部を表現しているだけのように思えます。

視野というと「見えるもの」という視覚的な意味が強いので、これ以降「視野」でなくて「スコープ」という言葉に替えます。つまり「スコープが広い」という意味について考えてみたいと思います。

スコープの広さ、には大きくわけて二つの要素があると思います。
それは空間と時間です(相対性理論を論じようとしているわけではないですが・・・)。空間というとちょっと意味が分かりづらいかもしれませんが、私の意図するところは、今みんなが共有している時間で起きていることをどれだけ広く把握しているか、というような感覚。
次に時間というのは、今この場が時間でどのように変化していくかをどれだけ正確に予見できるか、というような感覚です。

なぜこのようなことを言うかというと、多くの人はスコープの広さを空間的なことだけと考えがちなのですが、実際には「時間」の要素を感じられる能力が非常に重要ではないかと思うからです。
最初に言った、視野の広さを知識量だと思ってしまう人は、まさに今この世にある現実をどれだけ知っているか、つまり空間的なことにしか興味が無いように思えるのです。


子供を持って気が付いたのですが、子供は運動能力が増すに従い、まず自分の身の回りの空間の把握をする努力を始めます。しかし、時間という概念を理解するのにはやや時間がかかります。
どんなオモチャがどこにあって、どのように遊んだらよいかとか、どこに危険があってそれを避けるようになるとか、そういうことは脳は早いうちから少しずつ覚えます。ところが、そのオモチャを数時間前にどこに置いたかとか、この場所で転んで痛い想いをしたのはいつだったか、ということは1〜2歳頃までは記憶していないように見えます。
2歳くらいから言葉は話し始めますが「前、〇〇したでしょ」みたいな会話は最初のうちには全く成り立ちません。今自分がどうしたいか、という会話しか最初はありません。

3歳になるちょっと前頃から、「前に見た」とか言うようになりますが、昨日とか今日とか、そういう時間感覚がお互い共有できるようになったのはつい最近のことです。(今3歳三ヶ月です)
しかしまだ、曜日は覚えられないし、当然一月とか季節とかというような時間感覚は持ち合わせていないようです。子供によって時期は多少差はあるかもしれませんが、時間感覚を持つというのは、非常に高度な能力ではないかと私には思えます。

もちろん大人になれば、さすがにそういう時間感覚は持てるようになります。
ところが、もう少し高次なレベルの時間感覚になってくると、人によって差が出てきます。例えばよい例は、夏休みの宿題。時間的なスコープを広く感じられる人は、後で苦労することが分っていれば、そうならないように宿題を早く片付けてしまうか、計画を立てて行ないます。
もちろん宿題をやらなければ夏休みの後半に苦労することは理屈では分っているけれど、ついついそうなってしまう人も(たくさん)います。私は、これはスコープの狭い人の特徴だと感じます。

嫌なことを先送りして上手くいくことはまずありません。たいていの場合、モノゴトを上手く進めるもっとも良いやり方は、嫌なことを先にやることです。
スコープの広い人は、それが分っているから、そういう行動を取ろうとします。また、そういう視点で世の中を見るので、世の中で起きていることが上手くいくかいかないかということを比較的高い確率で予言できます。
あるプロジェクトがきちんと仕事をやっているかどうか、そういう情報の断片が入ってくるだけで、そのプロジェクトがうまくいくかどうか判断出来るのです。
結果的には、世の中がどのように動いていて、何がどのように変わっていくのかを読む力がつきますし、それがスコープの広さとして現れるのではないかと思うのです。

まとめると、夏休みの宿題をついつい後回しにしてしまうような人は、視野(スコープ)の狭い人間になっちゃうよ、というお話でした。


0 件のコメント:

コメントを投稿