2012年8月16日木曜日

コンペ社会

ふと「コンペ社会」というキーワードを思いついたので、思いつくまま書いてみます。

SNSなどを中心としたネットコミュニケーションの発展が、今後の社会を大きく変えていくのではないかと、個人的にはかなり真剣に考えています。
なぜかというと、ネットでのコミュニケーションが発展すればするほど、関連する人々の結びつきが簡単に、そして強くなり、そういったコミュニティが作り出すものの方が、クローズドな企業活動よりも開発効率、製品、サービスの品質が高くなるような気がするからです。
その結果、より社会は企業が作り出すものよりも、個性的な個人の集まりが作り出すものの方に惹かれるようになっていくことでしょう。
つまり、近い未来にはネット上で個人個人が勝手に結びつき、お互いに自分のスキルを売り物にするような個人商店の集まりに社会が変わっていくだろうと予想しています。

しかし、とは言え、そのようにモノゴトは簡単には進みません。
現実の仕事は、面白いことばかりではないし、誰もがやりたくないような仕事を誰かがやらなければ進まない面もあります。また人が集まれば、意見をまとめたり、お金を管理・分配したり、一緒に仕事をするためのルールを作ったり、ルールが守られているか監視したりというという仕組みが必要になります。この辺りが極限までIT化で簡略されないと、上で思ったような未来には中々近づきません。
最近はクラウドワークスとか、ランサーズというような小さな仕事単位で個人に発注するような仕組みも出来つつありますが、本当に個人商店でこの値段で続けられるかというと疑問はあるし、利用する側も本当にこの人は大丈夫だろうか、という不安がある限り簡単には良い報酬をくれないでしょう。

そうすると、こういった取引がうまくいくためには、何らかの形で個人に信用を付けるような仕組みが必要になってくるように思えます。
簡単に言えば、実績とか、資格とか、そういう肩書き・プロフィールです。
しかし私は、こういうことを重視するのは以前はあまり好きではありませんでした。何故かというと、そういう肩書きが現実の個人の能力と微妙な乖離があったからかもしれないし、単に自分自身のひがみの感情から来ていたのかもしれません。
しかし、社会が変化する過程において、プロフィールの内容が真にその人の実力を示すようになっていくのなら、対個人の何らかの取引において非常に重要な指標になっても良いような気がしてきました。

というのが前置きで、ここでコンペ社会というキーワードが出てきます。
私自身、作曲のコンクールに何度か応募して、何度も落ち、いくつか賞を頂いたりしたおかげで、こういうコンペで自分を試すということにそれなりの意味を感じています。それは確実に自分を高めるためのモチベーションに繋がるからです。
現在は、コンペというと芸術関係(音楽、舞踏、演劇、美術、文芸など)とか、特殊技能とか、極めて限られた才能を発掘するというような使われ方をされていますが、もっともっとたくさんのコンペが現れて、現実の仕事で役に立ちそうなコンペとか、そういうものが増えていけば、個人のプロフィールを飾る要素が増えていくことでしょう。

今は資格というと、非常に狭いジャンルの基本的な技能として認識されていると思いますが、考えようによっては資格も、ある意味コンペに近いと思うのです。
文学賞で一人しか選ばないような超狭き門のコンペでなく、1000人応募して20人くらい受賞できるくらいの賞があってもいいし、そうなるとコンペと資格の差はあまり無くなっていくことでしょう。

当然、コンペ自体にも優劣が生まれるし、どのコンペで入賞したかが、その人の実力を現す大きな指標にもなります。
このように、社会のあらゆるジャンルでコンペが一般的になり、その結果がプロフィールとして個人の信用を裏付けるものとなり、その結果、その個人を売り込むようなスタイルが成り立ってくれば、だんだんと才能のある人が個人商店で生きていけるような社会が生まれていくのではないでしょうか。

もちろんそれは個人の才能や実力が如実に反映されてしまう怖い社会でもあります。
しかし、だからこそ一人一人が自分と向き合い、自分に得意なものは何なのか、それを若い頃から自問自答することが必要な社会になっていくし、それが本当の意味で自由で平等な、そして公正な世の中なのではないかと私には思えます。




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