2011年5月18日水曜日

育児から想像する人間機械論

なにやらヘンテコなタイトルです。しかも、本ブログ初めての育児カテゴリー。

これまで育児の話をあんまりしてなかったのですが、書きたくなかったわけではないのです。子供が生まれてから約2年、幼児の成長を心に刻みつけつつ、子育てを・・・と言いたいところですが、不思議なことにもう子供が生まれた頃のことを忘れつつあるのが正直なところ。ちなみに生まれたときの記事はこちら

しかし、あくまで私は理系的にものごとを解析するのが大好きなのです。
もちろん、本当に学問で探求している人から見たら、私の推理、想像は突っ込みどころ満載なのですが、それでも私なりに育児からいろいろ人間の仕組みについて想像しています。
赤ちゃんが成長する過程、というのは人間が作られていく過程でもあります。人間がどのように作られていくか、を観察することによって、人間がどのような仕組みで作られているかを考えるきっかけになります。

ちなみに人間というのは、生まれた直後の子供があまりに無力だという点において、極めて特殊な動物です。馬だって生まれたばかりの赤ちゃん馬はいきなり歩き出します。ほとんどの動物は自ら母の乳を飲むくらいの動作は可能です。
ところが、人間の赤ちゃんは手足をばたばたさせるだけで、全く身動きできません。親の庇護がないと何も出来ないのです。また、実際に二足歩行出来るのに1年以上、言葉でコミュニケーションを取れるのに2〜3年くらいと、いわゆる生物的に自立するのに異常に時間がかかります。

子供が歩き始める瞬間というのは、実にたどたどしいものです。
本当に足の各筋肉をどのように動かしてよいか分からず、手探りで歩いている感じ。ちょっと歩いてもすぐにこけてしまったり、何でもないところで足がひっかかったり。

このような事実と経験より、人間は他の生物と違い、脳の可塑性が高く、常に書き換わることが出来るプログラマブルなシステムであると想像することができます。
プログラマブルの反対はワイヤード。ワイヤードとは、すでに脳の回路が配線終了されており、いつでも同じ動作が出来る状態のこと。逆に言えば、その動作以上のことは永遠に不可能です。例えば多くの昆虫のほとんどの動作はワイヤードで出来ていると思います。生まれながらにほぼ必要な動作が可能なのではないでしょうか。
その一方、人間の脳は、敢えてワイヤードな脳にせず、プログラマブルにしています。そしてある時期に発動する衝動のみがワイヤードで書かれているように思えます。

どういうことかというと、例えば生まれて1年くらい経ったら「歩きたい」という衝動が起きます。衝動が起きることはすでに決定されているのですが、「歩く」という能力自体は脳の中に書かれていません。そこで懸命に歩きながら、脳内の歩くプログラムを必死に作り上げ、歩く能力を獲得していきます。
万事がその調子でプログラムされていくので、人間らしい行動が一通り身につくまで非常に時間がかかりますし、そのために親が子供の世話をすることが前提になっています。
そういえば、生まれたばかりの頃に捨てられて狼に育てられた狼少女の話ってのがありますね。発見されたときには狼同様4本足で走り回っていたそうな。環境の違いで身体の基本的な動作まで変わってしまう非常に分かり易い例だと思います。

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