2007年2月18日日曜日

疑似科学

ちょっと前の納豆ダイエットから始まって、テレビ番組での科学の扱いが問題になっています。
いちおう理科系の端くれの私としては、以前よりこういったテレビ番組のあやしさは常々気になっていたのですが、それでもテレビに向かって「そんなわけないじゃん!」とか思っていても、意外と周りの人って番組の内容を素直に受け入れていて、逆に驚いたりもします。
特に腹が立つのは、占いとか心霊モノとかの類の番組。正直言って、私は心の底から全くそのようなものは信じないわけですが、何であんなもの、みんな信じるんですかね。どうせ、心霊ネタやるんだったら、もう少しまともな作り方にすれば良いのに(文学的、芸術的匂いを感じさせるとか)、どうしてこうも下世話になるのか不思議なくらいです。
科学的に考えればあり得ないとしか思えないのに、そんなことを言うこと自体がなんか野暮のような気がして、いつも心の中で留めておいています。

私の思うに、そういう番組を「こんなことってあるのね~」なんて見ている感覚こそが、疑似科学にだまされるような心理につながるような気がしています。
占い、心霊、疑似科学などには共通していることがあると思います。それはいずれも、その結論が個々人の人間の欲望とつながっているという点です。こうあって欲しい、こんなになったら嫌だな、こんな風に自分はなりたい……そういう人々の想いが、疑似科学を通じて現実となる可能性を示された途端、人々はよく検証もせずに無条件に信じたくなってしまうのです。
だから、こういうものに騙されない方法は意外と簡単なのです。
結論が直接自分の欲望を満たすようなものは、たいていアヤしいです(「痩せる」とか、「記憶力が良くなる」とか、「いつまでも元気でいられる」とか)。なぜなら、その命題が結論から先に作られている疑いがより増すからです。一つ一つ疑いの目で見るのも良くは無いように感じるかもしれません。でも、場合によっては経済的損失だってこうむる可能性があるのですから、もう少し私たちは賢くなるべきだと思うんですけどね。

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