1998年2月3日火曜日

写真でつづるイスラエル見聞録

1月8日より17日までの9日間、仕事の関係でイスラエルに出張する機会がありました。実は、私自身海外出張はおろか、海外に行くことも初めてで、まさか初めて訪れる国がイスラエルになろうとはこれまで思いもしませんでした。イスラエルが良かったかどうかはともかく、非常に印象的な体験をしたと思っています。ここでは、仕事のことはもちろん書きませんが、それ以外でのイスラエルでの体験をいろいろ綴ってみようと思います。なお、出張には私の他に会社の先輩S氏が同行しました。

まず旅行日程の概略から。
当初、9日出発の予定だったのが、8日の大雪で9日の朝に成田空港に行けないことを危ぶみ、8日のうちに出発することに。この日は雪で鉄道のダイヤが乱れまくり、成田空港付近のホテルに着いたのが夜中の2時半ころ。いきなり波乱の始まり。
9日の昼に成田空港からロンドンに向かいました。12時間を超えるフライトの後ロンドン着が現地での9日の夕方、そこで6時間ほど待ち(これが結構長かった)そこからテルアビブ(イスラエルの都市)まで約5時間。着いたのが10日朝5時20分。
ハイファのNof Hotelについたのが朝の7時ころ。まずはそのホテルにチェックインし、昼ころまで仮眠することにしました。しかし、眠ろうと思うと眠れないもので、結局1,2時間くらいしか寝なかったのかなあ。S氏と昼に待ち合わせし、食事の後、ハイファ市内を歩きまわりました。ホテル自体が山にあるせいで、ずいぶん疲れてしまった。ハイファでの観光はこの10日の午後のみでした。
仕事は翌日の11日から。11日は日曜日ですが、イスラエルでは仕事が日曜日から始まります。休みは金曜と土曜。特に土曜日の日中は安息日と呼ばれ、ほとんどの店が閉まってしまいます。
仕事は11日から14日までの4日間。一応、15日も仕事がうまくいかないことを考えてとっておいたのですが、結果的に仕事のほうは順調に済み、15日はイスラエルの出張先の計らいでまるまる観光できることになったのでした。この4日間は、朝8時にホテルを出発しタクシーで出張先の会社に向かい、夜は6時に仕事を終えホテルに帰る、という規則正しい生活となりました。
15日はタクシーを一日借り切ってイスラエルの観光。まずはハイファを出発して、ヤッフォへ。それから死海、そしてエルサレム。テルアビブのホテルには夕方6時ころ到着。
翌日16日の朝、飛行機の出発時間は8時なのですが、出国手続きに時間がかかるという話だったので、朝の3時にチェックアウトして空港に向かいます。しかし意外にも空港での質問時間は短くあっけなく手続きは終了。そのあと免税店でお土産を買って、帰路の飛行機に乗りました。ロンドン到着が11時35分。13時発の名古屋行きに乗り込み、名古屋に着いたのが17日の朝10時でした。新幹線で一路浜松へ。昼間には帰宅することができました。
以上、旅行の概略です。

では写真に沿って、いろいろと書いてみましょう。
Nof Hotel からとったハイファの街並み

ハイファの街は港のある工業都市。海のすぐ近くから丘があり、街が丘の上のほうに向かって伸びています。私たちが泊まったNof Hotelは丘のかなり高いところにあり、抜群の夜景を見ることが出来ました。ホテル周辺は商店街で着いた10日は安息日だったにもかかわらずいくつかの店は開いていました。他にもホテルがたくさんあり外国人が多いので、安息日でも店を開けているのでしょう。


ホテルの近くの見晴らしの良い広場にて

10日の午後はまず、近くのレストランでスパゲッティを食べた後、ハイファの観光をすることにしました。
Nof Hotelのすぐ裏の、マンカッツ博物館をまず訪ねます。うーむ、はっきり言ってただの民家です。それもそのはず、イスラエルの誇るアーティスト、マンカッツ(私は寡聞にして知らず)が生前住んでいた家だということです。家の中にはマンカッツ氏の作品の他、古いイスラエルの工芸品などが展示されていました。中にいたのは10分くらいだったかなあ。絵葉書を2枚購入。
その後、ホテルの近くの広場を散策。上の写真はそこでとったものです。天気も良く、ハイファの街の眺めがきれいでした。

バハイ神殿の庭園にて

マンカッツ博物館からだんだん坂を下り、丘を下りていきます。丘の途中には、さまざまな公園があって、彫刻などがおいてあったりして、雰囲気のなかなかのセンスのよさを感じました。しかし後で思ったけど、必ずしもこのようなきれいなところばかりでないのがイスラエル。美しさと汚さが共存している感じ。
途中よったバハイ神殿には美しい庭園があります。しかし、庭園には鍵がかかっていて入れず。しかもその向こうの神殿にも行けませんでした。しょうがないので、神殿の見えるアングルで記念撮影。
さて、街のことでいくつか。
まずは車のこと。日本ではもちろんほとんど日本車ですが、私は海外は初めてなのでまさかこれほど日本車がイスラエルで走っているとは思いもしませんでした。少なくとも1/3は日本車。もしかしたらもっと多いかも。意外とスバル、三菱、マツダが多かった。もちろん、ホンダ、トヨタもあります。日本車以外は、BMW、ベンツ、ルノー、プジョーくらいでしょうか。アメ車はほとんど見なかったですね。たまたま、街中のある店の調子のいいネーちゃんと話をしたんですが、やっぱり日本車は壊れなくて人気があるとのこと。しかも日本で売られているより相当高い値段みたいです。ミラージュなんかも換算すると200万円以上の値段で売られているそうです。車といえば、イスラエルの連中はなんとも運転が荒い。狭い車間でがんがんスピードを出し、クラクションもがんがん鳴らす。かなり無茶な車線変更もするし、遅い車は容赦なく追い越されます。当然のことながら交通事故も非常に多いとか。しかし、この運転の荒さは国民性なのだろうか。
もう一つは建物のこと。
イスラエルの街並みはなぜか非常に統一感があり、美しいものを感じさせます。その理由は、どの建物も石で出来ており、壁は白、屋根は煉瓦色にほとんど統一されているからです。建設中の大きな建物もたくさんありましたが、どの建物もブロックを積み重ねて作られていました。日本だったら地震が起きたらいちころって感じ。ほとんどの古い街並みは建物のみならず、道も全て石で出来ているんですね。そのへんがとても情緒があります。

Nof Hotelの朝食バイキング

やはり海外で一番環境が変わるのが食事。飛行機の機内食ですでに日本の米が食べられないことが発覚。イスラエルでも米は出るのですが、やっぱり日本の米とは違うんです。こんな米を食べるならパンのほうがまだいいって感じでした。
向こうでは、いろいろなものを食べました。
大笑いだったのが、日本料理の「松坂」。ここのチキンラーメンはすごかったぞ。こんな料理日本では絶対見られない!なんだかそばのつゆみたいなスープの中に素麺のような細くて白い麺が入っている。文章ではうまく言えないけど、見た瞬間になんだこれって感じ。ちなみにS氏がチキンラーメン、私は寿司を頼んだのですが(そもそも、日本料理店といって、寿司とラーメンがいっしょにある感覚がすでに変だ)確かに見た目は日本の寿司と変わらないけど、やっぱり米のせいか、決しておいしくはなかったですね。まあ、日本人が来ることを意識してないですから、こんなもんでいいんでしょうけど、この料理店に日本人の料理人はいないのだろうか?
一般的に、イスラエルの料理は単純な調理、ダイナミックな味付け、という特徴に尽きるでしょう。あと当然量も多い。アメリカもそうだ、と人にはいわれました。また、多くの店で、お皿に載った料理をお皿ごと下から温めるような器具がありました。ただその器具の中ではロウソクに火を灯しているだけですが。
上の写真のホテルの朝食ですが、色とりどりの料理で見た目はとてもきれい。地中海に面しているので魚料理も多いのですが、強烈に酢でつけてあってちょっと味はきつかったです。やっぱり魚は焼いて、しょうゆと大根おろしがないと...。


オールド・ヤッフォ(OLD YAFFA)にて

15日は、イスラエル観光地めぐり。出張先の会社で手配してくれたタクシードライバーが、まる1日、我々をイスラエルの観光名所に案内してくれるという寸法です。こんなこと、普通の観光者じゃ出来ないよね。
最初はイスラエルの古い街、ヤッフォ。オールドヤッフォ開発公団が管理する歴史的な遺跡が集中するオールドヤッフォという場所です。ここは一種の公園みたいになっていて、緑あり、遺跡あり、博物館あり、とさまざまな観光が出来るようになっています。各言語によるパンフレットが置いてあって、日本語のパンフレットがあるのには驚き。この街は4000年近い歴史を持っており、その歴史などがパンフレットには書かれています。

クムラン(QUMRAN)

ヤッフォの次は、一路死海へ。そこで、死海のすぐそばにある古代遺跡、クムランに立ち寄ります。死海へ行くまでは、ごつごつした岩山の連続。ほとんど、砂漠地帯という感じ。その途中には、その辺から集めた布や紙で作ったような汚い家が立ち並ぶ集落が何個所か。この人たちはいったい何をしているんだろうか。いわゆるパレスチナ難民なのかなあ。まあそれはともかく、クムランもそんな岩山の中に、唐突に現れる観光スポット。また、この場所は、あの死海文書が発見された場所としても有名なところです。
まあ、はっきり言って全然たいしたところじゃなかった。ただ、岩や石で作られた廃虚の残骸がそこに放置されているだけ。あとは、お土産品が買えるお店で楽しむ程度。でもこの店では結構時間をとって、いろいろお土産を購入。

死海で浮く私

というわけで、浮いてしまいました、私も。実は、海水パンツなどなんにも用意していなかったんですが、タクシーの車の中になぜか置いてあって、それを借りることに。冬といっても死海周辺はそれほど寒くありません。日本の春くらい。はじめは本当にみんな裸になってはいるのかなあ、と半信半疑だったのですが、行ってみるとそこはまさにそういうスポットらしく、多くの観光者が裸で死海プカプカ体験をしていました。もちろん、更衣室とシャワーもあり、必要な施設はそろっています。冬にもかかわらず、数十人くらいの人たちがいました。
さて、実際、どんな感じだったかって。水は思ったより普通で、言われるほどどろどろしているわけじゃないけど、やっぱり普通の海水よりはちょっとぬめぬめしているかも。よくコップの水に砂糖とか塩とかたくさん入れたとき、水がうねうねしている感じがありますが、近くで見ると、死海の水はそういったうねうねがはっきり見えます。
浮き方はいたって簡単。まず、普通に水の中を歩いていきます。それから、身体を後ろに倒していって足を離せば、誰でもあんなふうに浮くことが出来ます。塩分が高いので顔は水の中にはいれないほうがよいです。身体は写真のようにくの字型にしていれば、顔を出したまま本や新聞もよめちゃう。私は両手でばたばた漕いで泳いでいました。確かに、あんな格好で浮かべるなんて楽だ、と思っていたのですが、長い時間身体をくの字型にしているのは結構疲れました。
ちなみにこの場所、砂浜という感じではなくて、小さな岩がごつごつしているような場所です。サンダルなどがあるとベストでしょう。また、浮いているときに手で漕いだとき、浅瀬では手が岩にぶつかり怪我することがあります。私もS氏も軽い怪我をしてしまいました。

エルサレムを望む丘にて

死海から一路、エルサレムへ。上の写真はエルサレム旧市街を一望できる丘。エルサレムの旧市街と呼ばれるところはすべて城壁で囲まれています。この城壁の中に、石で作られた街と、数多くの史跡があるわけです。写真の中で最も目立つ金色のドームは、岩のドームと呼ばれるイスラム教の寺院で、エルサレムのシンボルともなっています。

嘆きの壁

エルサレム城壁には8つの門がありますが、糞門と呼ばれる門からエルサレム旧市街に入ります。しばらくすると、セキュリティチェックみたいな場所があって、そこを抜けると「嘆きの壁」が現れます。この場所は、ユダヤ教徒が壁に向かって祈る場所で、ユダヤ教徒にとってはとても大切な場所です。結構多くの人でにぎわっていましたが、それにもまして機関銃を持っている警察官の数がまた半端じゃない。ほとんど、10mおきくらいに立っていて、なんか不審なことをすればすぐに撃たれそう。ここにきて初めてイスラエルの怖さを目の当たりにしたような気がしました。たしかに、テロは人の多いところで起きるといいますし。
そこにあるのは、やはりただの石でできた壁なのです。しかし敬虔なユダヤ教徒がいるところでこの壁に近づくことはなんとなくためらわれたので、あんまり近づきませんでした。ここは観光地というよりは、聖地であり、ほとんどは宗教上の目的で来ている人たちです。なんかそういうオーラみたいなものが漂う場所でもありました。

エルサレム旧市街

嘆きの壁から、旧市街の中に入っていくと、そこには細い路地と両側にそびえたつ家という感じになります。しかし、嘆きの壁から一転して、そこにあるのは猥雑とした怪しい街の姿です。観光客目当ての小さな商店がたくさんあり、特に我々のような東洋人はめずらしいのか、カモにしやすいのか、執拗に声をかけられます。何かほしくてもこれじゃ買う気はしない。やっぱりちょっと怖い感じもあって、ちょっと歩いただけで、この場所を抜けました。ちょっと一人で来るのははばかられますし、実際テロとは別の意味で危険な場所だと思いました。
全体的に、エルサレムの印象は、汚いということです。確かに、古い史跡はたくさん存在しますが、それらを良い状態で管理したり、観光スポットとして整備するだけの余力がないのでしょうか。どこを歩いても、ゴミはたくさん落ちているし、きれいに整備されているふうにも見えません。作りかけのような石のがれきもたくさんあります。もちろん、きれいであればよい、というものでもないし、こういう汚らしさがある種の魅力を醸し出すこともあるのかもしれませんが、普通の日本人が安心して観光できるという観点からすれば、社会的な資本の整備が遅れている国とも言えるでしょう。まあ、国防費に相当なお金を使っていると思えば、当然のような気もします。
それから、イスラエルはユダヤ民族によって作られた国家ではありますが、さまざまな宗教、人種が集まっている場所でもあります。エルサレムもキリスト教、ユダヤ教、イスラム教それぞれの信者が同じ場所で暮らしているわけです。普段、宗教など考えもしない我々にとって、これだけ宗教的アイデンティティを強調されると、ちょっと後ろめたい気もしますね。

この日は、その後エルサレムからテルアビブに向かい、イスラエル最後の宿を取りました。翌日、日本への帰途につきます。事前に、出国の再のチェックが非常に厳しく、いろいろなことを質問され2時間くらいかかる、と聞いていたので、かなり早めにホテルを出たのですが、我々の英語力の無さに追求するのもめんどうだったのか、10分ほどで質問は終わってしまいました。あるいは、出張先の会社で一筆書いてもらった書類がとても有効だったのかもしれません。
その後、ちょっとした危険物騒ぎに遭遇。出国手続きを受けている旅客と、質問担当者、各飛行機会社、すべての人が危ないところから避難させられました。20分ほどくらいだったでしょうか。OKということになって、ようやく元どおりに。疑わしきは徹底的に疑い、チェックを行うという厳重な体制を思い知らされました。最後にして、イスラエルを感じさせる出来事に遭遇しましたね。

とにかく、イスラエルなんてなかなか行く機会のない国ですから、そういう意味では貴重な体験をしたといえるでしょう。でも、観光で再びこようとは思わないですね。

イスラエルのガイドブックは本屋にほとんどなくて、「地球の歩き方83イスラエル」だけかもしれませんが、このガイドブックはほとんどの名所が押さえてあり(この文章を書くのにも)役に立ったと最後に書いておきましょう。

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