2013年7月14日日曜日

歳をとった自分への戒め

さすがに40代後半にさしかかったオジさんを「若い」という人はいないでしょう。
就職時にバブルを経験したバブル世代の私たちは、世界的に不穏な経済状況の中で、いろいろ微妙な立ち位置にいます。当然、それなりの年齢なので若い人たちを指導したり、マネージしたりする必要もある一方、採用を抑制したおかげで若い人が少ない状況が続き、自分自身が最前線のプレーヤである場合も多いことでしょう。

しかも年齢を重ねると、体力的、精神的にも変化が現れます。
自分は自分のままでいるつもりでも、周りの同世代の人々を見ていると、なんか変わったなあ、とか感じる人もいるし、もしかしたら自分もそう思われているのかもしれない、という恐怖を感じます。
今回は自分への戒めのため、こんな中年になりたくないと思うことを、いくつか挙げてみます。

1.説教オヤジになる
どこから説教になるかは微妙なところですが・・・、私の基準は例えば以下のようなパターン。

1-1.「歳を取ればわかる」「何年経てばわかる」と言う。
私も言われたことがあるけれど、これ最悪。なぜかというと、これを言われたら反論出来なくなるから。もちろん、本人は反論されたくないからいうのだけれど、これでは上から目線に立ちたいだけの気持ちが丸見えです。常にきちんと論拠を示す態度が必要だと思います。

1-2.耐えること、根気を持つことを強要する。
確かに人によっては、明らかに諦めやすい人とかいるのでしょうけれど、こういう人は説教したって変わらないので、言っても無駄。
「耐えること」を強要することは、間接的に「黙っていうことを聞け」といっているに過ぎないのです。

1-3.自分の実績を自慢する。
傍から聞いていると何ともサモしいのに、こういうことを話したいと思う欲望に打ち勝つのは難しいです。謙虚な人はこういうことは言わないですので、性格にもよるのでしょうが、私など気が付くと言ってそうでコワい。
しかし難しいのは、然るべきところでは、ある程度脚色を込めてでも自分の実績を表現しないといけないときもあるとは感じます。


2.面倒なことを若い人にやらせる
これも難しいところですが、明らかに雑用は若者に振ればいいと思っている人はいるし、これはあまり良いことではないと思います。
組織的に仕事をしていれば、本来役割というものがあるはずで、それぞれの役割の中でやるべきことかどうか適宜判断すべきなのです。雑用であっても自分がやるべき仕事なら、それは自分がやるべきなのです。
人に振ることで「自分はやりたくない」という意識が見えてくると、この人が何かを成し得るとは下の人は思わなくなることでしょう。


3.細部へのこだわりを失う
立場が高くなれば、より俯瞰的にものを見るようになる場合も出てくるでしょう。そうすると、そもそも細かいことを考えることが面倒な人は、ますます考えないようになります。
もちろん、担当が広くなっても何から何まで自分でやれとは言わないけれど、昔こだわっていたときの気持ちを忘れずに、そういうところをこまめに指摘していかないと、その心を周りの人に伝えることは難しくなります。
何しろ、大ざっぱな感覚では、正しい判断は出来ないはずなのです。


4.若い人と主従関係であろうとする
上のいくつかと関連しますが、そもそも自分の心持ちが、常に若い人を家来のように扱うような人は少なくとも影では嫌われていると思います。
こういう振る舞いは儒教的感覚の強い日本ならではことで、年齢の上下や、入社年度、入団年度などでヒエラルキーが出来るなどというのはもはや幻想です。これからの時代、全ての年代の人と平等に接する態度が必要になってくると私は感じます。
もちろん、集団の指揮系統として上下関係が生まれれば、それはそれに従うのが当然ですが、そのときでさえも相手への敬意を忘れずにしたいものです。

こんな大人になれたらカッコいいのにね。

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