2013年3月2日土曜日

これから起きること ─ ツールとしてのコンピュータ

コンピュータによって、様々な知的作業が電子化されました。
例えば、私は作曲をコンピュータ上で行なっています。しかし、たかだか20年前、譜面をコンピュータで書いていた人はほとんどいませんでした。五線紙に鉛筆で音符を書き、ピアノで弾きながら音を確かめていました。
今では,多くの音楽家が、譜面浄書用のソフトを使い、音楽製作ソフト(DAW)を使って音楽を作り出しています。

小説、エッセイ、詩など、各種文章系の執筆活動はすでに手書きは無くなっているのではないかとさえ思えます。電子化が始まった最初期に文章系はワープロソフトが一気に普及しました。恐らく現在では、出版レベルのものは作者段階で電子化されているのではないでしょうか。
絵画、イラストの世界も直接コンピュータで書くというスタイルがかなり拡がっているものと思います。

上記では芸術系の話ばかりでしたが、それだけでなく経理、作図、論文、データ処理・・・といったあらゆる業務がコンピュータ上で行なわれているはずです。

このような状況の中で、創作する側にいる人たちには、もちろんたくさんの良いことがありました。
一つは、当然ながら作業中の単純作業がコンピュータに任せられるようになり、作業効率が上がりました。次に、これまで物理的に送っていた資料が、電子化されたファイルをメールなどで送れるようになりました。そして、何しろそれまでプロでしか出来なかったようなアウトプットが、専用の工具が無くてもソフトさえ手に入れれば、誰にでも出来るようになりました。

しかし、その一方、悪くなったこともあると思います。
それは、コンピュータのハードウェア、OSの進化、ソフトのバージョンアップに常に気を取られるようになったこと。バージョンアップで使い勝手が変わってしまうこと。また、ソフトの仕様によってはどうしても自分の出力したいアウトプットが実現出来ない場合があるということ、など。
もう一つ言うと、誰にでも出来るようになった結果、プロのクオリティを理解してもらうのが難しくなったこと。それは結果的に、多くのプロが買い叩かれたり、質の低いものが出回るようになってしまうことにも繋がります。

IT化が効率を追求するほど、本来の創造性とか、個性的な表現が失われてしまうということは、俯瞰的に見るならば正論だと思いますし、その理由の一つにコンピュータのツールのあり方が大きく影響していると思います。

さて、これから起きることを考えた場合、二つのシナリオが考えられます。
一つは、これまでと同様にツールが益々最適化され便利になり、各創作家はツールの新機能にキャッチアップしながら、ITリテラシーを保持しないと最先端に居られない、というシナリオ。
もう一つは、IT化がむしろ創作家に味方するような方向に変化していくというシナリオ。例えば、創作家自らがわざわざツール上で設定しなくても、創作家ごとに最適な仕様にツールが自動的に変わっていくような技術が考えられます。

やはり私としては二つ目のシナリオになることを望みます。
この場合、ツールとなるソフトウェアは、パッケージソフトによる供給では無くなっていくでしょう。むしろ、ツール類の各機能が部品化され、クラウド上から必要に応じて供給するような形になることが考えられます。
また、創作家である末端のユーザーの操作履歴は逐一ネットに収集され、それによってその創作家に最適な仕様を提案することも電子的に可能になるのではないでしょうか。

クラウドベースならOSにも依存しなくなります。
利用者が作ったドキュメントもクラウド上に保存されるようになります。
もちろん、自分が望むツール仕様がマジョリティでは無くなれば、ツールを開発してくれる人も減ってくるでしょうから、どんな仕様にでも対応出来るとは言いませんが、それでも、ツールが個別最適になる方向は正常な進化であると感じます。

今のように万人が同じツールを使う現状は、あまり正しいとは思えません。
ツールは万人の要望を満たすために、どんどん複雑になり、一人がソフトの機能を全て把握するのが困難になっています。ツールを使えるということと、良いアウトプットが出せるということがどんどん混同されるようになり、本当に実力のある人を排除してしまう危険性を孕んでいるのです。




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