2012年7月7日土曜日

何かを募集するということ

私はこれまで大学時代以来、ウン十年にわたって作曲コンクールに応募し続けている応募マニアでもあります。もちろんそのほとんどは落選、なのですが、何度か入選を頂いたおかげでちょっとばかり作曲家らしい活動もさせて頂いております。

実はそれ以外にも、あまり大きな声では言いたくはないけれど某文学賞とかに応募したこともありますし、つい最近また全然別の募集にも参加しました。

自分自身が募集をかける側には回ったことはありませんが、いろいろな応募をしていると、募集をかける側にもそれなりに覚悟が必要だと感じたりします。
そして、その覚悟が足りない人たちが、何となく募集をかければいいものが集まるだろう、という単純な思いで始めてしまった企画は、結局なんだかなー的な結果しか出せないものです。そういう痛々しい企画も残念ながら日常茶飯事です。

最初にざっくりした結論を言ってしまえば、「イイもの」を判断する目が評価側に無ければ、いくら募集をかけてもいい結果は現れません。集まった作品や提案の中には素晴らしいものがあるはずなのですが、判断する側にそのセンスが無ければ、それらは見落とされます。少なくとも募集された中で一番良かったものを見落とす可能性があります。
芸術系のコンクールやコンテストにも質があります。それらの質とは審査結果そのものです。審査した結果、素晴らしい才能を発掘すれば、そのコンクールの権威が高まります。
従って、コンクールはどれだけ質の高い審査が出来るかが、その企画の質になっていきます。
定期的に開催される音楽系のコンクールなどは、審査プロセスに一般的なフォーマットがあるため比較的品質は安定するのです。しかし、地方自治体や企業などが単発である種の募集をかける場合、たいへんお粗末な審査しか出来ない場合があります。

例えばあるアイデアコンテストを開催したとします。
最終的に最優秀賞や他の賞を決めたりするわけですが、そこに500近い応募があったとします。500というのは、もはや一人で判断するのは不可能なレベルです。
審査に1年もかけるわけにはいかないでしょうから、その場合、応募にふるいをかけるために複数人の手を借りる必要があります。
その場合、ふるいをかける人のレベルを高めるようにするか(コストは高くなる)、逆に選別基準などを作って誰でもふるいをかけれるようにするか(もちろんコストは低い)という方法が考えられるでしょう。

しかし芸術、アイデア、といったクリエイティビティが要求されるものを選別する場合、誰でもふるいをかけられる等という選別基準を作ることなど不可能です。そもそもそんな判断基準は学校で教えられる程度のもので、優れたものを見つけるためのものではありません。
またふるいをかけることを指示された担当者にしてみれば、自分の判断でもしかしてすごいものを落としてしまうかもしれないという恐怖に耐えられないのではないかと思います。

とはいえ500近い応募があれば、正直言ってそのうちの7,8割はゴミのようなものです。言葉は悪いですがそれは真実。
ゴミレベルの作品をゴミ、と断言するにはそれなりのカンが必要ですし、判断する側にもそれなりの知識と経験が絶対的に必要です。
そういう判断が出来る人に500近い作品を判断してもらうには相応のコストがかかります。このコストを全く考えずに募集をかけてしまうと、結局募集をかけた事務局のスタッフが微妙な判断で無理矢理選別を行ない、結果的に非常に凡庸な作品を選んでしまうことになりかねません。

全く先例がない場合、コストも全く検討はつかないでしょうが、少なくとも関係者で見れば良いものは分かるだろう、などという気持ちで始めれば、あとで痛い目に合うことになります。
結局は良い作品やアイデアが欲しくて募集をかけるのですから、それが見つからなければやった意味がないのではないでしょうか。
(要するに痛々しい募集は止めましょう!という応募側のささやかな忠告です)

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