2011年6月7日火曜日

県民合唱祭を聴きながら思ったこと

たまには、行事の感想など。
日曜日、静岡県民合唱祭が静岡市の市民文化会館で開催されました。全部で69団体の参加。終了が20時を超えるという巨大なイベントです。
我々も、53番目夕方18時頃の演奏。いろいろと課題の多い演奏だったなあと痛感。自分たちのことはまた別途反省することにいたします。

自分たちの演奏に先立ち、早めに会場に行って20団体程聴きました。本当は我々の演奏以降も聞き所は多かったのですが、残念ながらそちらは聴けませんでした。
多くの合唱団は、ほぼママさん系ですしかなり高齢でもあります。率直に言えば、聴き応えのある演奏をしてくれる団体はそれほど無いわけですが、それでも指揮者や団体の雰囲気は何となく伝わってきます。
団の演奏レベルはどうであれ、いや逆に演奏レベルがそれほど高くないからこそ、指揮者が何を練習中に語り、そして何を表現したいかが演奏や雰囲気から伝わってきます。

団のあり方は十人十色だし、指揮者と団員の関係もまた様々。ですから、団のあり方を一般化するのは難しいです。
しかしアマチュアであるからこそ、団員がのびのび歌っているか、それとも何か制約を感じながら歌っているかが演奏の雰囲気を大きく変えているような気がしました。
これは大変難しい問題で、指揮者は自分の思う世界が強すぎる程、いろいろなことを団員に求めます。まあ指示の仕方にも依りますが、注意点が多くて細かいと歌い手が制約を感じる気持ちが強くなる。それにより、自発的に気持ちよく歌いたい感覚から一歩遠ざかってしまうという現象が起こってしまいます。

演奏を聴いて、強要された世界観を表現しようとして縮こまってしまう団体とか、逆に自由に歌ってやや音楽的な統制が欠如している団体とかがあるわけです。
その二つの悪い状態に陥らずに、重要な点をきっちり抑えていくことは、それなりに指導者の能力を要求します。やはり音楽ですから、作りたい世界観以前にピッチやテンポ感といったソルフェージュの精度、または声の美しさという要素は押さえたいところ。そのあたりに、どの程度練習を割いているのかが演奏から如実に伝わるわけです。

そんなことをつらつら考えてみていると、本当に一団体ごと、どんなレベルであれ、それぞれ苦労を重ねながら日々の練習をしていることが愛おしく感じられます。そして自分たちのやっていることがそれほど凄いことでなくても、きちんと基本を押さえ、粘り強く愚直にやるべきことをやることの重要性を感じました。そして、そういうことをきちんとしている団体こそ、誉められるべきだなとも感じました。
プロ志向で考えると、良い演奏だけが絶対的に思えますが(そういう指向性もまた必要なのですが)、アマチュアとしての音楽の関わり方においては、もう少し懐の深い態度も必要だなと、個人的にもやや反省したのでした。
あ〜、しかしこれは堕落なのだろうか?

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