2007年6月24日日曜日

作曲におけるメロディ創作

クラシック的な意味での作曲で言うなら、メロディの創作は、作曲の一部分でしかありません。
メロディを考えることの他に、楽曲の構成、和声、その他のオブリガード(副旋律)、リズムパターン、対位法的処理、全体の統一性、などなど、色々なことを考えなければいけません。そうなると、作曲作業全体におけるメロディ創作の比率は落ちてきて、そこに割かれる考慮も薄くなる可能性があります。

もちろん曲によって、求められるメロディも変わってきます。
歌曲的な音楽なら、シンプルにメロディ+伴奏という形ですから、メロディの比重が高まります。ただし、器楽的要素が増してくると、その楽器で聴き栄えするような盛り上がりを作ると、少々一般的なメロディ度は弱まってきます。
それが緊密なアンサンブル音楽になってくると、メロディが曲想に合わせて展開をしていくことが増えます。古典的な意味での展開、というだけでなく、一つの音楽の中で、主題やその断片が作曲の素材として散りばめられることは少なくないはず。こういう音楽になってくると、主題はむしろシンプルで力強いほうが使いやすくなります。あまりに流麗で存在感が強いと、メロディパートだけに注目が集まるし、そういった旋律は切り刻むのが難しいのです。
シンプルな主題だと、反転したり、逆行したり、切り刻んだり、そういう加工がし易いし、加工したことも分かり易くなります。

一般的にクラシックにおける作曲では、上記のアンサンブル的な音楽のほうが芸術性が高いと思われているわけですから、流れるようなメロディの美しさというのは、必ずしも芸術性の高さには結びつかないと感じることがあります。
チャイコフスキーやドヴォルザークなども、メロディが流麗な作曲家なのだけど、だからこそ通俗的だと言われてしまっている気がします。
絵画で言えば、シンプルな主題を加工して使う方が抽象画で、美しい旋律がある方が風景や女性を描いた美しい絵、というように対応する、と考えると面白くないですか。

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