2005年12月19日月曜日

大河ドラマ「義経」

今年の大河ドラマ、全部見ました。
題材としても申し分なく、そのおいしい題材をなかなかうまく料理していたのではないでしょうか。まあ、ありていに言えば面白かったです。義経っておいしいエピソードが多すぎるんですね。たとえ史実ではないにしても、見るほうとしては予定調和なその世界に安心できるという部分はあるでしょう。
人物の造形もいいですねぇ。清盛、頼朝、藤原秀衡といった大人物の安定感はもちろんのこと、平家のキャストも各キャラが良く立っていたし、源氏の各武将、巴、静といった女性もよく描かれていたとおもいます。
今回のドラマでの最も大きな脚色は、義経の郎党の面々を付け加えたことでしょう。そもそも、弁慶自体その存在も怪しいのに、それに加え、何人もの実在しない家来をドラマに入れるのはそれなりに勇気が入ることだと思います。義経の家来なので、実に素直に皆は働くし、都合のよい場所で情報を仕入れたり、狂言回し的な役割を担ったりもします。何より、義経が置かれた状況や、それに際する心情を、義経の代弁をするようにこの家来に言わせるという役もあります。時にそういうストーリーの進め方が危うい感じもしたのだけど、主人公の代弁者として、彼らの存在は今回のドラマを通してとても大きなものでした。

作品の芯も、義経の「情」と頼朝の「理」を対比させることで、深いテーマを視聴者に突きつけます。
まあ日本のドラマですから、必ず最も「情」を持つ人間は主人公だし、それゆえに愛すべき人物像が作られます。しかし、今回「理」を表現する頼朝も決して悪役ではないのです。むしろ、大きな組織を動かすには、このような血も涙もない冷血な判断も必要なのだ、という当たり前のことをきっちりと表現しています。
みんな心のどこかで、コンピュータや情報が氾濫し、何から何まで規則で固められた規格化した世界観に少しずつ幻滅しながら暮らしているのだと思うのです。何もかも「理」で解決するようなそういう風潮こそ、おかしいと。そんな人々の漠然とした不安を、このドラマがうまく掬い取ってくれたように思います。

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