2014年1月4日土曜日

大きな使命のやらされ感と個人の小さなやりたい感

またまた電機メーカーネタですが、ソニーのリストラについてこんな記事がありました。曰く、こんなリストラの仕方では、働いている人たちの士気が落ちてしまうよ、との意見。

私たちは何となく大企業に務めれば将来は安定していると思いがちです。
しかし、ここ数年の日本の電機メーカーの状況を見ていると、そういう感覚自体がすでに神話の領域に入っているのではないかと私には思えてしまいます。

大きなものに所属して、その中で大きな使命感を持って働く、ということはそれなりに自尊心を刺激し、やりがいを感じるものだと思います。しかし、大きな使命感を満足するためには、その使命が明確であり、その効果が実績として良い方向に現れていると感じることが必要です。
今、大手電機メーカーで起きていることは、使命感が不明瞭であり、結果的に実績が悪い方向に現れていること、しかし、自分の意図せざる「やらされ感」だけが仕事を覆っている、というような状況に思えるのです。

こんな時代ならむしろ、使命の大きさよりも個人が持っている小さな「やりたい感」を満足させた方が良いのではないかと私は感じています。


大きな使命のためには、いろいろな種類の仕事が必要です。
例えば、世界中に同じ商品を大量に販売するとします。
そのためには、まず世界が欲している商品を企画する必要があります。いろいろな要求をまとめて商品の仕様をまとめる必要があります。仕様を満たすために最大の効率で開発される必要がありますし、その品質も十分吟味しなくてはなりません。
設計と試作が終われば、それを最小のコストで生産する方法を検討する必要があります。また、それらを世界中に配送する仕組みを考え、流通を速く安くする仕組みを考える必要があります。世界中に販売網を作り、商品の特徴や知識を販売店に伝える必要があります。また世界の売り上げの状況を把握し、販売が振るわない地域では何らかのテコ入れの必要があります。
こういった全体の仕事を俯瞰しながら、全体として投資以上の利益が出ているか監視する必要があります。それを行なうための計測の仕組みやルールを構築する必要もあります。

どんな仕事も、大きな使命感があるからこそ、適度なやらされ感の下、何とかこれまで回っていました。
しかし上記のどの仕事も、上手い具合に分割され、それぞれ個別の利益構造がきちんと定義されるようになれば、その仕事内の小さな「やりたい感」を満たすような働き方が出来るように思うのです。

例えば,上記の中で流通を速く安くする仕組みを考える、という使命は大きな使命の一部かもしれません。しかし速く安い流通網を作ることによって,その業務だけで目に見える利益が上がるのであれば、この業務自体の使命感を持って働くことは十分に可能です。
流通となると、実際には「小さい」とは言えませんが、それでも一般消費者から見れば縁の下の力持ち的な仕事です。流通の新しい仕組みを考えれば、それは十分創造的な仕事になりうるわけで、そういう意味ではどんな仕事であっても、その中に「やりたい感」を感じることは可能なハズです。

もし自分の仕事が面白くなく、やりたい感よりもやらされ感を強く感じているとするなら、それは自分の使命の設定の仕方が間違っています。あるいは、組織がその人に与えている使命、ミッションの与え方が間違っているのかもしれません。
人はある種の創意工夫を発揮し、自分の意志で行なった業務によって業績が上がったと感じるのなら、必ずやりたい感がそれに見合って上昇するものです。
逆に言うなら、個人のやりたい感を向上させるには、より使命を分割して、その人の能力にあった仕事で、その人が個人の意志で存分に働いてもらう環境を作らねばなりません。


しかし、大企業が社内だけで、そのような業務設計をすること自体、かなり難しい話です。社内政治も絡んでくるし、どれかの仕事がないがしろにされやすい状況も生まれてくるかもしれません。

企業形態として、水平分業か垂直統合か、という話はよく聞きます。
日本の大企業はこれまで垂直統合的でしたが、例えばApple, Amazon, Googleのようなアメリカの優れたIT企業並に優秀なトップがいるのであれば、それは素晴らしく上手く回るのですが、どうも現在の日本企業の場合、そのような状況は望むべくもありません。なぜなら、日本では経営能力がきちんと定義されておらず、そういう人がきちんと経営者になる仕組みが出来ていないからではないでしょうか。

それなら、今の日本では水平分業のほうがもっと効率的な社会が作れるのではないかという気がしています。
上記で挙げたいろいろ種類の仕事が全て別会社として独立し、それぞれの小さな会社がそれぞれの「やりたい感」を発揮してそれぞれの利益を追求すれば、全体として最適化した分業体制となり、結果的には利益も増え、国全体、社会全体がよりよい方向に向かうと思うのです。

今自分がしている仕事をベースにしつつ、個人個人が独立して採算が取れるような努力をすることが、むしろ今の日本に必要なことではないか、あるいはそういう圧力が少しずつですが私たちに迫っていると感じています。

もしこれから社会がそのように移行していくのなら、今私たちが心に中に秘めている小さな「やりたい感」を見つめ直し、それを少しずつ明確な形にしておくことが、これからの時代を生き抜くためにも必要なのではないでしょうか。



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