2012年10月20日土曜日

アマチュア演奏家の創造性

芸術で何が大事かと問われれば、私なら創造性と答えます。

ところが、ほとんどの芸術愛好家はアマチュアであり、音楽でいえば、アマチュア演奏家の演奏レベルは一般的には高くはなく、日々プロのような演奏技術に向かって精進を重ね、プロと同じような演奏が出来るように努力をしています。
このような態度は、良い手本に向かって自分をそれに近づけようとする行為に繋がり、独自であることを追求する創造性と根本的なところで矛盾を引き起こします。

このような表現をすると、技術的に鍛錬することと創造性は矛盾しない、と言われる方もいるかもしれません。ただ、文脈にもよりますが、私は精神論を述べるつもりは無いし、技術論とオリジナリティが不可分であることも理解しています。
それでも、アマチュアであるほど、技術指向であり、硬直的なあるべき論を招くことが多いように感じてしまうのです。

また、一般的にはオリジナリティを追求しようとするアマチュアに対して人々は冷ややかです。
世界中どこであっても、音楽演奏に求められるものは、みんなが知っている「あの曲」を演奏することであり、それによってお客さんの郷愁を得るような行為です。
だからアマチュアが演奏するオリジナル曲などほとんどの人が期待しないし、既存曲をちょっと独自なアレンジなどすれば怒り出す人も出てくることでしょう。

そういうことが当たり前だと思うにつれ、音楽演奏とは既存の音楽をあるべき理想像に向けて、努力して鍛錬して磨き上げていくことである、というふうに無意識のうちに規定していくことになります。
そして、そこからはオリジナリティ、創造性という要素がどんどんこぼれ落ちていく可能性が出てきてしまうのです。

表現者である以上、自分を表現したいという気持ちは誰にもあり、その中に自分ならこうするという要素を盛り込もうとするとき、それを自制する圧力がどのくらいあるか、というように言い換えてもいいかもしれません。
こんなにテンポを変えたら非難されるだろうなあとか、楽譜にスタカートが無いのにほとんどの人がスタカートで演奏してるからなあとか、尊敬する先生はこんな風には解釈しないだろうなあとか、自分の判断を曇らせる要素はたくさんあります。こういう考えにまみれているうちに自分の表現だと思っていたことが、実はほとんど借り物であり、狭い世界の価値観で染められたものになってしまう可能性があります。

一般にプロと呼ばれている人であっても、オリジナリティ、創造性という点においてはあまりパッとしない人もいます。
ポピュラー音楽の世界ではそれが非常に顕著で、世の中には多くのミュージシャンと呼ばれる方がいますが、プロとして生活していても彼らのオリジナル曲は中には非常につまらない音楽もあります。確かに、演奏はプロレベルなんですが・・・
こういう方々は、アマチュアの成れの果てのプロ、のように私には見えてしまいます。

私は優れた演奏技術よりも創造性の高い芸術を好みます。
世の中では必ずしもそうでなく、演奏技術が高いだけで評価されてしまうことも多いですが、テクニックはあくまで手段であり、芸術が精神的な活動である以上、その先に見えるものに価値があると思っています。

だから、私はアマチュアであろうがプロであろうが、その創造性に関心があります。
私が多くのアマチュア演奏家の演奏が面白く感じないのは、そこに創造性があまり感じられないからです。あるいは、そこで表現されるオリジナリティのセンスが低いからです。

演奏家として人前でパフォーマンスする以上、私とは何者か、何を目指して、何を表現したくてこういう活動をしているのか、そういうことを自問自答して欲しいのです。
それが全てのオリジナリティの出発点だからです。
そういう問いかけ無しに作り出す音楽には、芯がありません。確かにキレイに作れば賞賛してくれる人もいるだろうし、技術的な要素だけを褒めてくれる人もいるかもしれません。
しかし、年齢で劣ってしまう技術もあるだろうし、やはり芯のない活動は長続きはしません。
一生音楽活動を続けていくのなら、自分は何をしようとしているのか、自分独自のものは何か、を問い続けて欲しいし、そこから初めてオリジナリティや創造性が生まれてくるとのではないでしょうか。
プロ、アマチュア関係なく、そういう態度で演奏活動をする方が増えてほしいと心から思っています。

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