2008年7月14日月曜日

芸術論〜人々は何を芸術に求めるのか?

人々は何を芸術に求めるのか?
もちろんこんな大層なことを、学術的にきちんと論じようとすれば、全ての芸術や宗教や哲学などを総括するような、大変な論文になってしまいます。なので、あくまでシンプルに私の思いつきの考えを書き連ねてみましょう。
私の思うのは以下の三つです。
 1.人々は芸術に刺激を求める
 2.人々は芸術に新しい精神的な体験を求める
 3.人々は芸術に共感を求める

刺激というのは、簡単に言えば、日常と違うこと、そしてその違いに驚くこと。普段聴くことの無いような大音響はもちろん刺激だし、迫力のある映像、極彩色の映像、思いもつかない言葉の組み合わせ、常識を外れた行動、等等。何しろ、刺激とは普段とは違う何かです。
人間というのは本当に不合理な生き物です。生きるだけならおとなしく食べ物だけ食べていればいいのに、なぜ好奇心なんてものがあるのでしょう。いつも何か刺激が無いと生きていく活力が得られないのですね。お祭りのような非日常的な空間を作るのもその証拠のように思えます。
しかし、この刺激というのは一種の微分係数のようなもので、一度刺激を与えたモノを連続して与え続けると、それに慣れてしまい刺激で無くなってしまいます。さらに別の新しい刺激を人々は欲するようになるのです。

新しい精神的な体験とは何か?
例えば、宇宙旅行をしたり、古い王国の王様になったり、異国を放浪する旅人になったり、私たちは芸術を鑑賞することによって、普段の生活で得られない出来事を擬似的に体験します(した気になります)。小説、映画、演劇、オペラなどなど、ストーリー性のある芸術作品では、観客は自分自身を主人公に投影して、その世界観に没入し、そして主人公の心情を擬似的に体験したような気になり、それが気分を高揚させます。

最後の共感ですが、もちろん上記のような精神的体験から共感を得ることもあるでしょう。
しかし、もう一つこの共感を広義に捉えるなら、作品の中に自分の考えと共通する部分を見つけ、それを一緒に鑑賞する人と共有することによって、その思想をより強固なものにしていこうとする心境とでも言ったらいいでしょうか。
誰しも、自分と同じ考えを持った人がいるのは大変嬉しいことです。共感とは簡単に言えば、ある種の仲間意識のようなものです。自分と精神的に共通している誰かがいる、ということが自身が生きることに大きな安心を与えてくれるのです。

ということで芸術に求めるものについて、刺激、体験、共感、という三つのキーワードを提案してみました。

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