スチュアート・ブラントはアメリカの未来学者。生物学を学んだ後、1968年に"Whole Earth Catalog"という雑誌を創刊。それがベストセラーになって、カウンターカルチャーのバイブルとまで言われるようになりました。若き日のスティーヴ・ジョブスがその雑誌に熱狂したというエピソード、そして最終号の裏表紙に書かれていた "Stay hungry, Stay foolish" という言葉をジョブスが引用したことなどで、この著者や雑誌もよく知られるようになったのではないでしょうか。
本書は、そのスチュアート・ブラントが2009年に出版した"Whole Earth Discipline"の邦訳版。
これが、大震災後、原発事故の後で出版されたことがまた興味深いです。なぜなら、本書で著者は原発推進の立場をとっているからです。
著者のスタンスは、一貫しています。
地球温暖化を防ぐため、我々は何をしなければならないのか、純粋に科学的に考察し、理論や原則ではなくあくまで結果が大事といったような、実用主義を貫きます。
そのためには、政治や経済といった側面も重要です。どのような大義ある計画であっても、お金がかかれば反対者は必ず出てくるし、為政者が変われば計画も凍結されてしまいます。
現実主義、実用主義を取ろうとするなら、経済的な尺度や、政治的な活動もまた重要であるという当たり前のことを主張しているわけです。
そして、本来環境運動の中心人物であった著者が達した結論は、むしろ多くのエコロジストが反対するような「都市化」「原発」「遺伝子組み換え」の推進でした。
そもそも、我々がぼんやりと考えている文明化が地球環境悪化の原因だ、という観点を、いろんな尺度から再点検しています。
では、その文明化っていうのはいつからのことなのでしょう。
例えば、ネイティブアメリカンがベーリング海峡を渡って、アメリカ大陸に渡ってきた際、この大陸にもともといた大型哺乳類は、人間が狩りをした結果ほとんどが絶滅してしまいました。
あるいは、人間が8000年ほど前から稲作などの農業を開始した結果、森林が減り、一気に温暖化が進んだことが分かっています。
つまり、人間はほとんどその活動の最初期から、ある意味、環境を悪化させてきたのであり、それもまた自然の一つであると言えなくもないわけです。
そうである以上、原始人のような生活に戻ったり、質素につつましく生きることが地球を助ける方法などではなく、もっと積極的に科学の力を利用し、我々の叡智を結集するしか方法は無いと説きます。
「遺伝子組み換え」については、まさに私が昔から思ってきたことを、理論的に補強してくれたと感じました。つまり、人類がこれまで行ってきた品種改良というのは、間接的な遺伝子組み換えであるし、ウイルスレベルでみたら、遺伝子がどんどん突然変異で組み変わってしまうのはむしろ自然だとも言えるわけです。それを人為的にちょっとだけ背中を押してあげるだけ。
現に薬品の開発では、遺伝子組み換えは十分な実績を挙げており、なんとなく嫌だから反対、という態度がいかに非科学的かを論じています。
問題は原発のところ。
確かに、太陽発電、風力発電はコストが高い。それに同じ発電量を出すのに、必要な土地の大きさも原発と較べると桁違いに広くなってしまいます。
著者は、一度事故を起こすともう原発を推進できなくなるから、相当な注意をもって原発の運用がされているはずだ・・・と書いてあるのですが、残念ながら、その期待は裏切られてしまいました。
私たちは、二酸化炭素を吐き出しまくる発電にまだまだ頼らなくてはなりません。
少なくとも、二酸化炭素を出さない原発はグリーンな発電方法なのです。だからこそ、今回の事故は多くの温暖化阻止のために原発を推進してきた多くの人を裏切ってしまったことになりました。
我々は放射能を恐れるのと同時に、温暖化も恐れなければならないのです。本当に原発事故が世界に与えた影響は大きいのです。
最後に著者は、こういった大きな問題を解決するのに、夢想家、科学者、エンジニアの三者がうまく分担して事を進めなければいけないことを説きます。
夢想家とはロマンチストのことで、カリスマ性を持った政治家、あるいはジャーナリストといった存在。政治や資金を動かす人たち。科学者は方法を発案し理論化、そして検証する。最後にエンジニアは、その計画をきちっと遂行し、現実に必要なモノを作り出していきます。
著者の提唱する「地球工学」といった考え方にこれからどれだけ多くの人が協力し、従事していくのか、それ如何で地球温暖化対策が本当に実を結ぶかが決まっていきます。私も、今後こういった動きにいろいろ興味を抱きながら応援していきたいと思います。
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