2011年6月18日土曜日

寄付社会は成り立つか?

たまたまTwitterで、NPO法案が通って、NPOに寄付すると税金が減額されるようになった、ということを知りました。
まだまだこの法案に対して認知度は低いだろうし、どこに寄付したらよいかも皆目検討は付きませんが、寄付することで払う税金が安くなる、逆に言えば税金を払うくらいなら、そのお金は自分の好きなように使いたい、ということに繋がるわけで、その意義は決して小さいものでは無いのだろうと思います。

このような話を聞いてから、そもそも寄付という形の経済こそ、私がいろいろと疑問に思っていた社会のあり方への模範的な解答になり得るのではないかという気がしてきたのです。
例えば、こんな本とか、こんな本を読んで思ったのは、人のやる気というのは単発的な報酬では起きないということ。むしろ、社会や組織の中でいかに個人が認められたか、という観点が非常に大きいのです。
プロ野球選手が年俸にこだわるのは、それが球団の中で自分の価値をどのように判断しているのか、という証になるからであって、お金そのものにこだわっているわけではありません。

非常に細切れに単価を決めて、はい一時間だから何円、というような形でもらうお金というのは、逆に労働する側からものごとを考える意欲を失わせます。どちらかというと、単純な仕事に向いた賃金の支払い方法です。
本来、知的な作業、例えば何かを設計したり、絵や文章や音楽を作ったり、といった場合、あまりにその報酬を細切れにして単価を決めるのは、仕事する側にあまりいい影響を与えません。
むしろお金の話などせず、あなたを信頼するから、あなたの作品が好きだからこの仕事をお願いするのです、みたいなほうが、依頼される側は圧倒的にモチベーションが上がります。

問題はそのときの報酬体系です。
何にしても生活するわけだから、報酬が無いわけにはいきません。先ほどのプロ野球で言うなら、一年単位でその人の貢献度を金額で判断していました。しかしそれでさえ、球団側の原資があっての話ですから、生々しい話にならざるを得ない。
そこで、最初の寄付の話が繋がるわけです。

例えば、音楽家の場合・・・
最近はCDが売れなくなってきており、明らかに音楽ビジネスの形が変わりつつあります。誰もがYouTubeでただで音楽を聴けるのが当たり前になった時代に、今さら3000円出してCDを買う人は少ないのかもしれません。
それなら、自分の好きなアーティストに寄付すれば良いのではないでしょうか。
アーティストは、音源をほとんど無料で解放します。
ファンのうち、お金を出してまで支援をしたい人が、寄付をすればよい。そしてアーティストは、その寄付金を自分の活動資金にしていくわけです。

寄付した人に何らかの特典があるのなら、正直、ファンクラブの年会費、とさほど違わないように思えるのですが、それでも何か心持ちが違います。
年会費で払わなきゃいけないお金と思うと、どうしても人はサービスの質と金額を天秤にかけるようになります。その金額が妥当なのか、ということです。それは、結局もっと安くして欲しい、と願う感覚に繋がります。
しかし、寄付というのは、個人が積極的に支援したいという気持ちの証です。その人の経済状況によって金額は違っていてもいいし、値切ろうと思う感覚と根本的に異なります。むしろ、お金を出せば出す程、そのアーティストに対する思い入れはさらに強くなる、といった心理。

お金が無ければ寄付はしなくても良いのです。
むしろ、寄付というのはお金を持つ者が、自分の嗜好やあるべき社会の理想型とかを示す良い方法だとも思えます。言わばお金の使い方による自己表現です。
現実的に簡単にそのようには行かないでしょうけど、人々の意識がだんだん変わっていけば、寄付で成り立つ経済、社会というのもあり得るのでは、とちょっと夢想してみました。

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