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2013年12月28日土曜日

今年を振り返る2013

気が付けば年の瀬。今年も去年のように一年を振り返ってみましょう。

今年は仕事でおおはまりし、特に前半はほとんど仕事一色。これが自分的には一番大きな出来事でしたがここでは細かく書きません。

合唱活動はヴォア・ヴェールの練習の出席が芳しくなく、かなり低調になってしまいました。2年ぶりに参加したコンクール県大会もあまり嬉しくない結果で、来年やろうと思っていた演奏会もまだメドがたっていません。
今年は、松下耕先生率いるアンサンブル・プレイアードさんから男声合唱曲の委嘱をいただき、その作曲を行ないました。初演でも楽しい時間を過ごせたのは良い想い出です。ただ残念ながら、思っていたよりも曲に対する反響は今のところありません。
合唱に関しては、主立った活動はその委嘱関係くらいでしょうか。

個人的にプライベートで最も力を入れたのは、ラズベリーパイを使った電子工作で、オリジナル電子楽器を作る活動。来年以降公開していくつもりですが、今年はその準備期間として、作る楽器の方向性固め、電気部品の選定、ソフトウェア開発を行い、何とか年末に試作品らしきものを作ることが出来ました

まだまだ、こういった活動は趣味的なレベルを超えるものではありませんが、あわよくば自分のライフワーク的な活動にしていきたいという想いで始めています。
世界の流れが大きく変わろうとしている今、自分も何か踏み出さねばならないと思って、自分なりに出した答えがこの活動ということなのです。
今後も暖かい目で見守って下さい。

ということで、来年以降、試作品をより洗練させて、この「電子オカリナ」をいろいろな場所で公表していこうと思っています。

2012年12月29日土曜日

今年を振り返る

気が付けば、一年も終わろうとしています。
家族のこと、仕事のことは置いといて、自分に関わることで今年思い出深かったことをまとめてみましょう。

今年は久し振りに、自分の作品の演奏機会が多い年でした。といっても思い付くのは4つだけですが。
まず、東京で開催された混声合唱団LOCUSの演奏会で「わらははわらべ」が久し振りに再演。それから、浜松少年少女合唱団の演奏会で私が編曲した「唄・今昔物語 -にほんのうた-」が初演されました。この編曲作品は夏休みにドイツ演奏旅行に行った際にも演奏してくれたそうです。

それから、6月には松下耕さん率いるブリリアントハーモニーの演奏会で、女声合唱曲「ほね」が初演されました。この日は、その後の打ち上げで松下耕さん始め、信長さん、相澤さんなど多くの方々とお会いしお話しする機会があったことも嬉しいことでした。

そして4つ目は、先日のヴォア・ヴェールの演奏会です。
私の指揮で弦楽と合唱のための「うろくずやかた」を初演。詩を書かれた西野りーあさんとも初めてお会い出来ました。
年初めから音取りを始め、9月からオケ合わせを数回。器楽と合唱を並行して練習しながら何とかステージを仕上げるために、練習スケジュールなどいろいろと苦心したことも自分にとっては大きな収穫だったと思っています。

音楽活動以外では、何といっても大きなトピックはフィリピン英会話。
1月には会社の長期休暇を利用して、フィリピンの語学学校に1週間滞在。英語だけでなく(というか、1週間では正直あまり身に付かない)異文化交流とか、フィリピンの猥雑さとか、いろいろなことを体験することができました。同じく語学学校に来ている若者からも大きな刺激を受けました。
その流れで、5月くらいからオンラインのフィリピン英会話を始めました。月5000円で一日25分のレッスンが受けられるという仕組み。こちらは始めてから7ヶ月が経ちましたが、依然としてそれほど語学力は上がらないけれど、英語に対する慣れのようなものは付いてきたような気がします。

英語学習はこれまで何度もいろいろやっては挫折しての繰り返しでした。
Twitterや多くの識者の言説に接していると、英語が出来るか出来ないかで自分の可能性は大きく変わってくるような気がしています。もともと語学のセンスはあまり無いので、流暢な会話が出来るところまでは無理だとしても、何とかコミュニケーションが可能になる程度にはなりたいと切に願っているのです。

あと今年、ある意味最もインパクトのあった出来事は、8月に水ぼうそうになって入院したこと。
息子からうつされたのですが、子供を持つというのはこういうことなんだなと身を以て体験しました。詳細を知りたい方は、上のリンクの記事を読んで下さい。何しろヒドい目にあいました。

ところで、今年は実はほとんど作曲はしませんでした。
今年の後半はむしろ、プライベートでもエンジニアとしての活動を拡げるような活動を始めています。電子音源のソフトウェアを書いてオープンソースとしてアップしたり、ARMのボードを購入して遊んでみたり・・・
実際に形になるかはまだまだ分かりませんが、一人の技術者として、純粋に自分がやりたいことを追求したい、あるいは技術者として音楽に関わり続けたい、という思いでこの活動を続けていきたいと思います。

さて来年は全く大きな予定が無い年です。
なので次なる飛躍のための準備期間と位置づけ、いろいろな逆境に耐えながらも、自分のやりたいことの素地を作っていければ良いと考えているところです。

2012年9月8日土曜日

自分の持ち時間

私もだんだんいい年になってきて、これから自分はどうあるべきなんだろう、などと殊勝なことを考えたりします。
仮に何か新しいことを始めるにしても、そこに至るまでいろいろ勉強したり、何かを調べたり、多くの人と知り合ったり、という地道な努力が欠かせないはずですし、もちろん、今と同じ仕事を続けたり、合唱活動を続けたりしていく上でも、自分がどうありたいのか、という目的意識を持つのと持たないのでは将来の自分の在り方に違いが出てくることでしょう。
そう考えると、今自分の持っている時間を何にどう使うのか、ということをかなりはっきり意識した上で意図的に行動すべきではないかとふいに思ったのです。

具体的な数字で考えてみます。
一年は365×24=8760時間。
わざわざ一時間単位にするのは、自分の行動を一時間単位で把握するため。そのほうが現実の行動としてのリアリティを感じると思うからです。
では、この8760時間を私は今どのように過ごしているのでしょうか?

まず睡眠の時間はどのくらいでしょうか。私の場合一日の四分の一強、といったところ。
お風呂やその他もろもろの睡眠前後の時間を引いて、残りの持ち時間を6000時間くらいとしましょう。

食事、会社の休憩時間、移動時間・・・これは、生活に必要なものではあるけれど、内容を工夫すれば役に立つ時間にすることは可能かもしれません。こういった時間が1日に2時間くらい。とすると、700時間くらい。

そもそも、会社で仕事している時間はどのくらいでしょうか。
労働日数220日(?)に、やはり多少の残業はあるので9〜10時間をかけて、だいたい2000時間くらい。

そう考えると、私の場合この時点でまだ持ち時間の半分弱くらいしか使っていません。
もちろん、今は週末は子守りが多く、家族と過ごす時間も2000時間くらいは使っているでしょう。(平日2時間、週末6時間くらい?)
あと、合唱関係は、週一回の練習とときどきある週末のイベント、移動時間や関連する交流時間などをいれて200〜300時間くらい?。今は非常に少ないですが、子供が生まれる数年前はこれが1000時間くらいいっていた時期もあったように思います。

さて、後残りは1000時間くらい。
この時間を、テレビや雑誌からの情報収集、読書、ネット上での情報収集やコミュニケーション、自分の勉強(IT、英語など)、作曲やアプリ開発・・・といった時間にあてていることになります。

今はこの残りの1000時間をどう充実させるかが自分にとって重要だと思っています。
このように考えるとキュウキュウに生きているようにも思えるけれど、まだまだ楽して生きていきたいなどと思うのは早すぎます。
一日当たり2時間強の自由時間を、さてどのように使っていきましょうか。


2012年8月9日木曜日

46歳、大人の水ぼうそう


この歳になってまさかの水ぼうそうに罹ってしまいました。
私が罹る2週間前に息子が水ぼうそうになったので、潜伏期間的にも明らかに息子から移されてしまった形です。
それにしても、大人の水ぼうそうはヒドくなるとはネットなどにも書かれてましたが、息子の状況からあまりにかけ離れた私の惨状を見るにつけ、全くもって大人の水ぼうそうは大変なことになることを身に染みて体験してしまいました。

何がヒドいって、見た目です。
私の場合、ほぼ全身に水ぼうそうが出ました。顔やお腹、背中はもちろんのこと、手足は最初は二の腕や腿どまりだったのが、最終的には手のひら、足のひら、指まで到達。のどの奥や耳の中にも出来て、ほぼ全身完全制覇。
特に顔やお腹,背中は1平方センチの隙間もないほどの密度で出たので、ほとんど見た目は怪物としか言いようが無い状態。しばらくしたら治ると言われても、その精神的ショックは結構なものです。

発症後10日ほど経った現在、ようやく事態は収束し始めていますが、これらがカサブタ化して完治に向かうのにもう数日、仮にカサブタが取れたとしても、しばらくは皮膚に赤い斑点が残るものと思います。
私は皮膚が弱いので、全て終わったあとも身体中に恐らく相当の水ぼうそうの痕が残ると思います。まあ、そんなことを気にする年齢でも性別でも無いですが、単なる伝染病なのに後遺症が強過ぎ。本当に大人の水ぼうそう恐るべしです。

ちなみに母に電話して聞いたところ、私は幼稚園に行く前に水ぼうそうをしたかも、という返事。えーっ、それほんと!?という感じですが、だとすると、子供の頃にやったことが一生罹らないことの何の保障にもならないじゃないですか。医者にも聞いてみましたが、免疫の低下で再度罹るということもあるかもしれない、と言ってました。しかしそうなると、何を信じていいのやら・・・
(後で聞いたら、幼稚園に行く前に水ぼうそうしたというのはかなり怪しそうだった)


水ぼうそうを患っている間、ネットの個人ブログなどでも体験を読んだりして参考になったので、私の経過もここに紹介しておくことにします。(今後の状況も追記していきます)

1日目:
仕事をしていても妙にだるくて熱っぽい。家で熱を測ったら微熱があった。
2日目:
解熱剤で熱は下がっていたので、そのまま仕事へ。やはりとてもだるくて熱っぽい。明らかに調子が悪かったので早めに家に帰って熱を測ると、まさかの39度。
3日目:
額にデキモノがあるのはちょっと気になっていたけど、妻から「まさか水ぼうそう?」の指摘。身体を調べると、何カ所かそれらしき斑点が発見される。朝、近くの医者で診てもらったところ、水ぼうそうに決定。息子と全く同じ薬をもらう。
熱は夜くらいから40度弱が続き、何となく苦しくて眠れない。
4日目:
身体中に一斉に水ぼうそうが出来始める。水ぼうそうだと分っていても、本当に大丈夫か、と心配になる。同じ医者に点滴を打ってもらいにいく。「わぁ、スゴイ出たね!」と驚いてくれる。体調は一向に良くならず。
5日目:
ますます水ぼうそうは拡がる。元気のいいものは透明で半球状に膨らんでいる。
状況を心配した妻の両親がいろいろと医者に相談した結果、夕方に某大病院に紹介状付きで診察してもらうことになる。ここでも、先生方に「スゴいですね!見事に出ましたね」と驚いて頂いた。
家にいても子供がいて休まらないのと、異星人のような姿の病人の世話にも苦労させてしまうだろうという気持ち、そして何より今まで入院経験が無かったということで(やや興味から)、こちらから入院のお願いをした。
幸い部屋も空いているようなので、病状が改善するまで入院することにする。伝染病なので、一人部屋&面会謝絶。常に空気を排出する装置が作動していて、かなりうるさい。
6日目:
水ぼうそうが手の甲、足の甲まで拡がる。依然、熱は38〜39度。入院した夜は、何度も寝たり起きたりしたが、だんだん寝ているのがつらくなって、椅子に座る時間が多くなった。
治療は1日三回の点滴。中には抗ウイルス剤が入っているとのこと。水ぼうそうの活動を弱めるための薬らしい。
7日目:
箇所によっては色が少し黒ずんできて、水ぼうそうの勢いが無くなってきているらしい。
熱が出てつらいというと、解熱剤をくれる、ということを初めて知った。それなら最初から毎晩頼んだかも知れない。私は点滴の中に解熱剤が入っているとばかり思っていた。
8日目:
解熱剤を使ったせいか、37度台が見えてきた。夜になるとまた体温が上がるのでは、と警戒していたが、どうもそれほど熱は上がりそうも無い。
9日目:
熱は完全に平熱に。身体中の水ぼうそうはそのままだが、身体が軽くなり、食欲も戻ってきた。先生と話したら、いつでも退院していいとのこと。なので翌日退院することにした。
10日目:
顔の水ぼうそうの一部がカサブタ化し、手で触れるとポロポロと落ちるようになってきた。顔以外はまだカサブタ化していないが、ほとんどのほうそうが赤黒く変色し、見た目はグロテスクだけれどこれ以上成長しないことを示している。
夕方に退院。ほとんど一週間ぶりくらいに髪を洗う。
11〜13日目
ぷっくり膨らんだ水疱がきっちりカサブタ化するつもりでいたけれど、なかなか進行しない。むしろ、しぼんでいくものが増えてきた。日常生活の中でぶつかって潰れてしまうものもあり、当初予想していたみたいに、カサブタがどんどん増えてパラパラ落ちていくような状況には必ずしもならず。
15日目:
退院後の初めての(恐らく最後の)診察。一部水疱が残っているけれど、ほとんどカサブタ化したので、まぁ後は時間が経ってだんだん元通りになっていくでしょうとのこと。もう他人にうつす危険性もほとんどないとのこと。
確かに、しぼんだもの以外は見事にカサブタ化しており、これが一つずつとれていくと、見た目の違和感もだんだん無くなっていくはず。ただし臑より下、まだ一部水疱の膨らみがあり。
17日目〜19日目:
カサブタポロポロ状態。自然にはげるわけではないけれど、ちょっと身体をこすったり、かじったりすると簡単にカサブタが剥げてくる。カサブタが取れると、その部分の肌は赤くなっていて、結局見た目にはブチブチが残っているのです。
とは言え、ほぼこれで完治ではあるので、これをもって水ぼうそうレポート終了といたします。

2011年12月29日木曜日

今年とTwitterと私

去年の今頃、Twitterについてこんなことを書いてました。
今年は社会的にいろいろなことがあったけれど、不思議なほど今の私は当時の心持ちとあまり変わっていません。

実際のところ、今年一年も去年と同様にTwitterを楽しみました。何か新しい展開があったわけでもないし、事件があったわけでもありません。多くの論客の意見に触れ、昨年同様いろいろ刺激を受けてきました。
フォローの仕方も去年から大差なく、フォロー返しなどもせずに、淡々と好きな人だけをフォローするというやり方。Twitterで合唱関係者と交錯することも何回かありましたっけ。

ただ、世の中の進み方に対するあせりのせいなのか、ネットサービスにいろいろ手を出したりした割には、あまり実りは無かった感じがします。
ネットの世界が現実を変えつつあるとはいえ、ものすごく早く進んでいることと、思ったより進んでいないことがあり,もう少しその辺りを見極めていくことが当面は重要となってくるでしょう。

私が思ったより進んでいないと思うことは、働き方の問題です。
ネット環境の進化で、いろいろな人が繋がりやすくなったのは確かですし、どこにいても仕事はできるようになってきています。しかしそれが、在宅勤務とか、組織を離れ個人で活躍できる人が増える、とかいった現象にはまだ結びついていません。
日本的な組織ではそれは厳しいのかもしれません。むしろ海外のほうがそういう環境がどんどん進化していくような気がします。
そういう状況の中で、私自身組織内で行なう仕事についてあまり邪険にするものじゃないよな、とちょっと思い直しているところです。

もう一つ、Twitterというのは本当に人格を丸裸にすると感じます。
Twitterは書きたくなければ書かなきゃいいのです。ところが、書かなければいないことと同じ。他人のつぶやきを読んでいると自分も何か書きたくなるし、何かを書けばそれを読んでもらいたいと思うものです。
しかし、書けば書くほど自分の世の中へのスタンスがどんどん明らかになるし、言葉遣いや表現方法でその人の品性まで知れてしまいます。これって、冷静に考えると怖いですね。
実際に長い間の知り合いでも、こんな人だったなんて知らなかった・・・なんてことはあります。
そうやって、知性、信条、人格、品性が丸裸になる社会・・・。でも、私は嫌いじゃないです。

2011年11月4日金曜日

古い考え

何かこう、いつもモヤッとしたものを感じながら会社人生を送る私。
私がモヤッと感ずるのは、私の思うところの、いわゆる「古い」考え方に接した時です。賛否あると思いながら、いくつか思うところを挙げてみますが、あくまで一般論としてお読み下さい。私の職場とは一切関係がありません(?)。

●残業するほど仕事に熱心である
もちろん、いまどきこういうことをストレートに言う人はいません。
が、あからさまにそういう価値観を強要されることはしばしばあります。そういう自分だって、他人が差し迫った仕事があっても、のうのうと早く帰っているとやや腹が立つこともあります。
しかし、一度残業して成り立ってしまった仕事は、もはや残業無しでこなすことは不可能です。
社会のため、家庭のため、個人の豊かな人生のため、残業しないほうがいいのは分かりきっているのに、誰が一番我慢できるか、を競争しているように見えます。

●徹底的なクレーム回避
これは程度問題なので一概には言えないけれど、日本人は極端に非難されることを恐れるように見えます。逆に消費者側に立った場合は、商品に何らかの不具合があれば鬼の首を取ったかのように尊大に振る舞います。
もちろん、そういう消費者の厳しい目が製品レベルを上げてきた側面はあるけれど、あまりにお客様のクレームを恐れるあまり過剰な反応をしたり、哲学も方針も示さずあたふたしている様は滑稽にさえ見えます。
お客様が大事なのは当たり前だけれど、自分たちが自信を持ってやったことは、批判されても押し通す気概は必要です。それは瞬間的な批判を引き起こしますが、長い目で見た時、会社の指向性が明確になりお客様の信頼を得ることになると思うのです。

●大切なことは秘密にしなければいけない
企業だから、技術開発や商品開発の内容は、一般には企業秘密であり、なるべく他人の目には触れないようにします。
今まではそれは私も当たり前だと思っていました。
しかしソフトウェアの世界では、オープンソースが当たり前になってきていて、多くの人がその恩恵に預かっています。世界の有名なソフトウェア企業は(日本は無さそう)、自社開発のソフトウェアをオープンソースにしたり、またそういうコミュニティに寄付したりして、持ちつ持たれつの関係を作ろうとしています。
外の技術を取り入れたり、また公開しようとすることによって、自分自身の力が試されます。
人と交わらず、自分の中に抱えて何かをやっていれば、どんどん時代遅れになります。
ソフトウェアと工業製品とは、技術に関する性格が異なるのです。しかし、依然として多くのメーカーは自社のソフトウェアを秘密にしたがります。大した技術でもないのに。

●合理的、効率的、という言葉が嫌い
もちろんとことん合理的であるべきとか、効率を追求すべきとか言うわけではありません。
しかし、もうちょっと頭使えば、全然仕事は楽になるはずなのに、時間をかけてわざわざ同じことを繰り返すほうが仕事をしっかりやっていると印象を持たれてしまう。
それは、担当者だけでなく管理する側にもコスト意識が足りないのでしょう。同じ仕事を早く済ませるほうが生産性が高いに決まっているのに、エクセルのマクロとか使うだけで小賢しい感じがして疎まれたりとか、そういう雰囲気が往々にして起こります。
「昔は、一つ一つしっかり○○したものだー」などと昔話などされた日には最悪です。
だから、日本のホワイトカラーは生産性が低いとか言われるわけです。

●整理整頓、服装、態度、などなどの見た目の問題
まあ、見た目は良い方がいいし、会社で働くならルーズな格好とか、茶髪とか、そういうのを気にする人もいるでしょう。
しかし学校じゃないんだから、そんなこといちいち注意しなくても良いのに、とか思います。
極端に言えば、仕事が出来ればいいのです。きちんとした身なりの人が必要なのではなく、仕事が出来る人が必要なのです。

●交通安全とか・・・
まあ、交通事故は無いほうがいいですが、そういうのって会社でやることかなぁ。

●何しろITを使いこなすのがダメダメ
ITって技術とか知識じゃ無い気がするのです。ある種の生活態度のようなもの。
直接会うか、メールで済ませるかは、実利で考えればいいのに、まだ大切なことは直接、とか思う人は多いでしょう。
一文一文、強調のために色が違っている文章とか(超読みづらいし、ダサい)、更新されないHPやもう存在しない部署のHPが散乱していたりとか・・・これは十分罪なんですが。
こういう情報開示の仕組みが、おまけの業務だと考えている人がまだ多いのでしょう。こういうところにどれだけ力を入れているかが、これからの組織力の差になると私は思うのですが。


2011年7月1日金曜日

自転車置場の議論

パーキンソンの凡俗法則というのがあるそうです。
これは、どうでもいいような些細な議論になぜか時間を費やしてしまう傾向を表した言葉。

この中で出てくる例として、原子炉の建設については、非常に規模が大きく複雑で理解が難しいため、一般の人は専門家がきちんと進めているだろうと思い、あまり意義を唱えず、着々と建設計画が進んでしまう。しかし、その一方自転車置場の屋根の素材をどうするか、アルミにするかトタンにするか、など誰でも分かりやすい議論になると途端に議論が白熱し、いくらでも時間を費やしてしまいます。

この話が再び話題になったのは、FreeBSDの開発用メーリングリスト内での議論のこと。
ソフトウェア開発においても、非常に専門的で難しい内容がある反面、誰でも分かりやすい議論というのがあります。
一つ例に挙げられるのが、コーディングスタイルの話。
一つのプロジェクト内では、コーディングスタイルを統一したほうが、成果物の内容は統一されるし、その結果生産性も上がるはずなのですが、プログラマ各自がこれまでやってきた仕事などのバックボーンがあり、実際にスタイルを統一するのは難しいものです。
ここでいうスタイルとは、プログラムを書くときにどこにスペースを入れるか、括弧は前に書くか後ろに書くか、どのタイミングで改行するか、関数や変数の名前の付け方はどうするか、とかそういったプログラムの見た目の書き方のこと。
もちろん、改行があろうと無かろうと中身が同じであればプログラムは同じように動きますが、同じプロジェクト内であれば、見た目も統一しておきたいものです。
ところが、その内容を統一しようと検討を始めると、その議論は全く収拾が付かなくなることが多い。そういう現象は多くのプログラマが経験していることです。

翻って社会一般で考えてみても、同じようなことは起こりえます。
例えば、マンションの一年に一回の管理組合の総会など。修繕計画のような大規模で、専門的な話は詳細を話されてもなかなか理解しづらいので、しょうがなく承認してしまう。
ところが、マンション内のマナーの問題とか、花の水やりの経費とか、対象が分かりやすくなった途端に口を挟む人が増え出してしまう、といったような。

こういったときの心理状態は、難しい内容の議論では貢献できなかったと思う参加者が、自分の分かる範囲の議論で少しでも貢献したいと思う、どちらかというと責任感のようなものに根ざしている事が多く、それだけになかなか制御が難しいわけです。

世の中にはたくさんの議論すべき難しい問題があるにも関わらず、ほとんどの人はその本質的な意味を理解できず、内々で勝手に進んでしまうような危険な計画もたくさん思い当たります。
しかし、そうなり易い一つの理由として、こういった「自転車置場の議論」に時間を取られすぎている実態というのも各自が認識すべきなのです。
私たちは、難しくても将来の自分たちの社会がどうあるべきか、という議論に正面から取り組む必要があり、そのためにはどうしても各自のリテラシーの向上が不可欠です。

何か、つまらないことで議論が白熱したとき、これは「自転車置き場の議論」だ、と認識し、少しでもそういう議論を収束させていくような行動もまた必要なのでないかと感じました。

2011年4月11日月曜日

音楽環境一新

20年使っていた電子ピアノが1年ほど前に故障し、MIDIで別音源の音をしばらく鳴らしながらだましだまし使っていたのですが、ついに新しい電子ピアノを買うことを決意。自分の音楽キャリアのほとんどを共にした電子ピアノで、愛着もありましたが、さすがに古くなり過ぎました。
さて、新しく買う電子ピアノ、いわゆるホームユース系のキャビネット型の電子ピアノか、ステージ系(ライブ系)の電子ピアノを買うか、ずっと悩んでいたのだけど、配置の自由さ、ステージで使うかもという期待、多少の音作りの可能性も考えてステージ系のYAMAHA CP5を選択。
それに併せて、部屋のサイズに合うようにオーダーメイドの机も購入し、部屋の音楽環境が一新されました。どんな感じか、恥ずかしいけれど写真でお見せしましょう。

110411これまで高いところに置いてあったPCを下に降ろしました。どうも作曲などで長い間集中してPCを使っていると頸椎を痛めてしまうようで、ここ一月くらい肩や腕の痛みに悩んでいました。そんなこともあって、楽器購入や周辺家具の環境整備を一気に進めました。おかげで、やや出費がかさんでしまいましたが。

ちなみにYAMAHA CP5は、ピアノ、エレピの音色をライブで使うようなタイプの電子ピアノ。特にエレピに関しては、往年の名器(ローズ、ウーリッツァ)のシミュレーション音色がたくさん搭載され、その筋では評価されているキーボードです。
といっても、私の場合、電子ピアノの買い換えのつもりなので、エレピはほとんど使う予定はありません。ピアノ音色では、YAMAHAのCFとS6という二つのグランドピアノの音がサンプリングされ搭載されています。CFはコンサートグランドで生ピアノの王様といった感じですが、S6はもう少し柔らかい感じの音色で、狭いライブ会場でJazzでも聞くような感じの音色。この二つの音色があれば、ピアノユースでも十分楽しめます。

部屋のあらゆる部分を解体してしまったので、実はまだいろいろなものが行き場を失っています。
モノで氾濫しかかっているので、昔のケーブルや小物パーツなども大量に廃棄する予定。あらためて、自分が昔からいろいろなものを買いまくってエコからほど遠い生活をしていることを実感してます。DATのデッキも今は完全に置く場所が無くなってしまいました。それから、今まで使ってたMIDI音源どうしよう・・・。
まだまだ部屋の整理は途中なのです。

2011年3月18日金曜日

新しい日本を始める

まだまだ地震の復興にはほど遠い状況ですし、原発事故や計画停電や買い溜めなど、被災地以外にもその余波が拡がっています。
地震直後は、恐ろしいほどの天災だったのに、時間が経つにしたがって人災的な要素も加わってきているようにさえ感じます。もちろん、現場は懸命な努力を重ねているに違いないのですが、私が感じるこの人災というのは、もっと大枠な社会システムの問題です。

私自身はそれほどテレビをずっと見ているわけではないのだけど、特に原発の対応については、ちぐはぐな対応ぶりや、意志決定の遅さを何となく感じます。
このような問題が起こる度に、災害時の行動についてルール化、マニュアル化しようというような流れになりますが、実際の災害の現場にいたとき、そんなルール通りに行動するなんて不可能なように思うのです。
むしろ必要なのは、責任と権限の所在です。誰が責任を持って決定を下すのか、それを明確にしておくことです。会社の全ての責任は社長が負うわけでは無いと思います。会社の全ての業務について社長が専門知識を持っているわけがありません。ならば、その責任・権限の一部をその配下に委譲すべきなのです。
専門知識を持つ担当者が、意志決定の権限を持てば、判断のスピードは早まります。そうすれば、少なくとも災害時においては、訳の分からない承認のために時間がかかるよりよほどましな対応が出来ると思うのです。

トップが常に全責任を負うことを建前にし、結局判断が出来ず、担当者に事情を聞いているようなら、そんな責任者は要りません。今こういう事態は、日本のあちらこちらで起こっている感じがします。あなたの周りにもいませんか? 現場の事情が分からずに判断がすぐに出来ないリーダーが。

そういうことが、今回の大震災で教訓にならないだろうか、と思います。
少しずつ、そういう事態が日本人にもわかり始めてきて、判断の権限を現場監督に委譲することのメリットが理解されるようになれば、より迅速な判断が可能になるでしょう。そのような社会になれば、判断する人の高いスキルが要求されるようになり、そうなるとそもそも大組織であるメリットは無くなって、大きな会社・組織がだんだんと解体していくことにならないでしょうか。

時代は、組織よりも個人を中心として、めまぐるしく回り始めているような気がします。マスコミよりもツイッターやSNSのようなサービスを通じてネットのほうがますます人々の行動に影響を与える時代、災害自体は悲しい出来事だけれど、それを乗り越えることによって、組織中心の日本の社会が大きく変わるきっかけになれば良いと私は感じています。

2011年3月14日月曜日

日常と非日常の境目(大震災に寄せて)

金曜日に大地震が発生して以来、報道は地震一色でしたね。
私には何しろ津波の映像がショッキングだった。もうこの一言に尽きます。多くの人がカメラを持っている現在、時が経つほど様々な津波の映像が報道で取り上げられるようになって、益々この天災の凄まじさを恐怖を持って見つめていました。

特に最初期にヘリコプターから撮影された映像が何とも象徴的。
いつもの日常が、まるでSF映画のように恐怖の非日常空間に呑み込まれていく様は衝撃的でした。まるで白紙に絵の具を塗るかのように、あまりに簡単に容易に進行していきます。私たちはそれを俯瞰的に傍観者的に見るしかないのだけど、あの最前線でいきなり非日常に呑み込まれた人々のことを思うと、どうしようもない戦慄を覚えます。
私たちの生活は、かくも簡単に日常と非日常の境目を飛び越えてしまうのです。

私たちはこれほどまでに天災の前には無力であり、そのような恐怖は突然やってくるのであり、もはやそれは理不尽さといった言葉を超えた超越的な意識でしか、この事実を受け止めることは出来ません。
今さらながらに何かしら宗教的な意識を感ぜずにはいられないのです。つまり、神のみになせる技と言ったような。

現実生活で被災していない私たちができることは、募金などごくわずかなことしか無いけれど、日々芸術の世界で自己表現を続けている身としては、何かこの感覚を伝えねばならないような気持ちを感じています。何らかの形で、哀悼の意と超越的な力を表現するモノを形にしたい、というかするべきなのだと思うのです。
こういった一人一人の行動は小さなものだけれど、それが大きなうねりになって、新しい何かが始まるかもしれません。

2011年2月16日水曜日

変わりゆく世の中での処世術

世の中が激しく変わっている、今まさにそのただ中にいるような感じです。
その原因はインターネットにあると私は思います。直接原因というよりは、世の中の変化の根底にネットが常に介在しているという感覚です。そんな単純な話ではない、と感じる人もいると思います。しかし、ネットが世界にもたらした効率化の連鎖は恐ろしい勢いで世の中を変えているのではないでしょうか。さまざまなサービスがネット化され、買い物の仕方も変わり、人との付き合い方も変え始めています。考えようによっては、政治さえネットで完結出来る可能性を秘めています。多分、それに一番先に気付いた国家が、今後勢いを増していくのではないかと思うのです。

そんな中で、私たちはどう生きていけばいいのでしょう。
大それた疑問と思うかもしれないけれど、一人一人が何らかの指針を持って生きていかなければなりません。でないと、変化の大波に飲まれて翻弄されてしまいかねません。
私がまず思うのは、日本的な組織第一の価値観から早急に脱却すべきだということ。組織にしがみつかない生き方を目指すべきです。前回も書いたように、組織はもはや私たちの奉公に対して十分な御恩を返してくれません。そんな余裕は無いのです。

しかし、それは仕事を適当にすればよい、ということでは無いのです。
仕事を通じて、自らを高めたり、自分のやりたいことを実現したり、というように、組織の仕事が自分にメリットとなるような仕事の仕方をすればよいと考えます。
だから、今の仕事は面白くない、と感じてしまった瞬間にかなり危険な状況に陥ります。私の思うに、どんな仕事であっても、さまざまな雑事の中に自分がやりたいと思うことが必ず見つかるはずだし、そういうものをうまく選んでいけば、何もかも面白くない、などという状況にはならないはずだと考えます。今が面白くない、と思うのは外的な環境ではなくて、個人の心の持ち方に問題があります。

もちろん組織の中にいれば、面白くないことも多いし、面白くないことをさせられることもあるでしょう。まあ、そのあたりはそこそこ我慢しつつも、自分が面白いと思うことをちゃっかりやって、組織の中に自分のテリトリーをしっかり確保するというのが正しい生き方と思うわけです。
それが最終的に組織の目標と合致していれば、それが理想です。しかし、それでも心の底では会社のために仕事をするのでなく、自分のために仕事をするのだという心構えが基盤にあります。

私の拙い予想では、20〜30年のうちに大きな組織がどんどん崩れ始めると考えています。
ネットが極端なまでに世の中の効率化を推し進めると、世界で同じような仕事をしている人たちが横の関係を築き始めるからです。そうすると社内の狭い人間関係ではなく、ネットで繋がる同じ境遇の人たちとのコミュニケーションが重要になっていきます。
今のうちにそういう流れに早く乗って、組織第一の価値観に縛られずに生きていくことが、今後数十年の自分の生き方に大きく影響を与えるのではないでしょうか。まだまだ私自身が自分の考えていることを十分にやりきれていないのだけど、そういう気持ちを感じながら生きているのは確かです。

2011年2月9日水曜日

LGの液晶テレビを購入!

ここ半年くらい、いつテレビ買おうかな〜とずっと考えていました。
11年前に買ったブラウン管テレビはこれまで全く故障もせず、正直、地デジ移行には何となく釈然としない感じもしていたわけです。かなり前に決まったとは言え、日本中の使えるたくさんのテレビがゴミと化してしまうのはやっぱりもったいない。いっそのこと安価な地デジチューナで済ませようかとも思ったりしました。

これまでなかなかテレビを買わなかったのは、単純にどのテレビを買ったらいいか分からない、と迷っていたからでもあります。多くのメーカーから、あまりにたくさんの型番が発売されていて、もちろんそれぞれにいろいろな機能やら、性能の違いやらがあるわけですが、正直私にはその違いに全く興味が湧かないのです。
実際、家電量販店でテレビを見ても、私には安いものと高いものの性能差がほとんど分かりませんでした。

今回は、何となく東芝のREGZAでも買うかな〜と漠然と思っていたのですが、そんな折、浜松のビックカメラでLGのテレビが展示されているのを発見。
もとよりあまのじゃくな私は、日本製じゃないことにたまらない魅力を感じ始めたのです。
しかも、そこにあったLGの最高機種のデザインが素晴らしい。
見た目を一言でいえば、表面は一枚のクリアパネル。余計なでこぼこ一切無し。スイッチ類も無し(わざわざタッチパネルになってる)。そして、テレビ全体は非常に薄く、まるで近未来の映画で出てくるような洗練されたデザイン。
継ぎ目の無さやボタンの極端な排除など、アップルのデザイン哲学にも通ずるところがあります。超大型iPhoneみたい。

自分自身メーカーで働いて、こういったデザイン重視の製品というのが、日本では製品化されづらい現実を良く感じます。
最終的に製品開発にGOを出すのは経営者であり、日本ではそのクラスの人にデザインの美しさの価値を理解している人が少ないのです。またいくら優秀なデザイナがいたとしても、社内の力関係で技術やコストのほうを優先するほうが、恐らく圧倒的に多いでしょう。だから、日本メーカーには思いっきりデザイン性に振れた製品が少ないのです。

こうなると、私にはほとんど他の機能などどうでもよくなってきます。いわゆる一点豪華基準による選び方。
とはいえ、元より42型を購入予定だったので、同じく一枚クリアパネルデザインの42LE8500を購入しました。17万円と、このサイズとしてはちょっと高めでしたが、いや十分満足。
先週末にテレビが届き、ようやく人並みに地デジ放送を見られるようになりました。

と、このままでは、デザインに大満足ってだけで終わるので、ちょっとおやっと思ったことをいくつか。
・正直、音質は良くないですね。まあ、この薄さで全面ガラスなので、まともなオーディオ性能を求めるのは厳しいでしょう。スピーカーが前を向いてないだけで、音質はかなり落ちますから。でも、十分聴ける範囲ですが。
・電源が入っていない状態で、リモコンのチャンネルのスイッチを押すと、電源は入るけれどそのチャンネルにならない。こういう細かいところまで配慮が行き届かない感じが、日本製じゃなさを良く出している。
・画面のボリューム表示の妙な絵も、日本のテレビでは見たことが無い。これは変わってて逆に面白いかも。

残念ながら、LGテレビは日本では全然売れていないそうです。日本市場に再参入したけど、すぐに撤退してしまうかもしれませんね。
中途半端に安いの出さずにデザイン系のやつを3種類だけにするとか、デザインにうるさい人にうまく宣伝してもらうとか、もう少し営業に工夫すれば、何とかなるような気もするんですけどね〜。

2010年10月30日土曜日

理系度から見る私の変遷

今回も何となく自分史の振り返り。
まあ、どう考えても私はこれまで理系人間として生きてきたわけですが、その気持ちはずっと一様だったわけではありません。
高校時代まで私は完全に理系人間でした。数学、物理は好きだけど、国語、社会は嫌いと公言していたくらい。今の私から見れば、国語や社会の大切さを説教したいくらいですが、頑なに私は理系でありたいと思ったし、曖昧な結論になりそうな学問を嫌っていたのです。
このときの気持ちがほとんど変わっていなければ、私は今でもごく一般的な理系技術者の一人であったことでしょう。

そんな私が大きく変わったのは大学時代。
大学時代、私は完全に文転していたと言っていいくらいなのです。工学部に入った私ですが、サークル活動に明け暮れ、受験から解放され勉強に興味を失った結果、授業に全くついて行けなくなりました。これマジです。高校の頃まで、授業が分からないなんてこと無かったのに、もう物理なんてさっぱりです。講義内容が分からない劣等感を感じながらも、残念ながらその頃の私は奮起することは無かった。

その一方、合唱団での活動が増えるにつれ、文系の人たちに影響され、それまでまるで興味がなかった文学や芸術の世界に目覚めます。もとより小説を読んだり、音楽を聴くのは好きだったけど、高校までの私は推理小説とか、ポップスとか、ごく一般的な流行りのものしか興味がなかったのです。
しかし大学入学後、古典文学や哲学、心理学といった文系学問に興味が移り、音楽もクラシックを多く聴くようになっていきました。理系に属しながら心は完全に文系になっていました。

その後、技術者として就職しましたが、幸か不幸か、私はコンピュータのソフトウェア技術者となります。いわゆるプログラマーですが、多くの人が誤解していると思うのだけど、プログラマーは必ずしもバリバリ理系的な仕事ではありません。
一応、今の世の中コンピュータに関する学問は理系に属していますが、プログラムを書くだけなら、理系文系はそれほど関係無いと思います。プログラミングとは論理思考の権化みたいな技術ですが、ロジカルな思考は文系であっても非常に重要なハズ。通常、コンピュータで解決したい問題領域が理系学問に多いから、理系っぽく思えるだけなのです。
私は、就職以来、プログラミングを覚えていきましたが、理系的な領域には苦手意識を持ったまま、大学時代に心に根ざした文系的生活を送っていました。

とはいえ、私のもともとの性向はやはり理系だったのでしょう。
私の理系としての能力的限界は、すでに大学時代に実証済み。しかし、それを肯定して、専門的なところは専門家に任せることにして、一般的な事柄についてはもっと理系的に処理できないかと思うようになりました。
その大きなきっかけは、たまたま社内の研修の一環でデジタル信号処理を再勉強したことにあります。大学でも多少触りはやっていたものの、当時はやる気もなかったので、全く身についていませんでした。
しかし、冒頭のオイラーの公式で私は目覚めました。えー何だって! 指数関数と三角関数が、自然対数と虚数によって結ばれるなんてスゴ−い、という理系のくせに今まで何してたんだと言われかねないような驚きを感じたわけです。
その後完全に身についたとは言わないまでも、フーリエ変換とかz変換を再勉強し、伝達関数を算出し、各種フィルタ計算を行う方法を知るにつれ、理系的な喜びが再び復活してきました。

とはいえ、日々業務の中でそのような知識を日常的に使うわけでもなく、専門家として習熟するというよりは、広範な知識としての理系への興味を常に持ち続けています。
しかし、思い返せば、今面白いと感じる理系学問は全て大学時代に一度はかじっていたわけで、今の私から見れば、当時の私に数学や物理の楽しさを説教したいくらいなのです。

2010年3月5日金曜日

オモテのページで120000間近

恐らくブログに直接来る方が増えたためか、私のサイトのトップページから辿ってココを見る方は少ないかと思いますが、カウンタの120000番が近づいてきました。
これまでの記念番号の記事はこちら。今回も申告頂ければ、記念品を差し上げます。(最近出した楽譜もプレゼントOKですよ)
前回の記念番号から1年以上も間が空いてしまったのは寂しいですが・・・まあ、ブログ以外の更新は少ないし、仕方ないか。
では、今後とも当ページをご愛顧よろしく。

2010年2月13日土曜日

長谷部家の状況ー2010年2月

赤ちゃんを連れて歩くと、どこに行っても行った先で周りの人がニコニコしてくれます。ときには、赤の他人も話しかけてきます。あらためて赤ん坊とは、不思議な存在だなあと感じます。ほんの少しだけ、自分の世界が広がった気がしてきます。
ということで、お堅いブログをほんのちょっと和ませてみようと思い、最近のスナップ写真を載せちゃいます!

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↑ちょっとデカ過ぎ?

2010年1月19日火曜日

突然、イメチェン

いきなりブログのデザインが変更されていて驚いたかもしれません。
特に大きな理由もなく、急に変えてみたくなりました。いろいろ触っていたら、悪い感じじゃないので一気に変更してしまいました。
見た目、やや派手ですが、私の好きな色合いです。ほんとうは、気の利いた画像なんかが付けられれば良いのですが・・・

2010年1月4日月曜日

今年の予定

あけましておめでとうございます。
昨年は公私ともに大きな行事が重なり、派手な一年になりましたので、今年はやや地味に過ごそうかと思っています。ということで、特に予定はありません・・・

というのもなんなので、派手では無いけれど、今年決まっていること、やろうと思っていることを挙げてみましょう。
浜松少年少女合唱団の委嘱編曲ステージ
今決まっている今年唯一の拙作初演です。編曲はもちろんもう終わってます。本番を楽しみにしています。
・「辞世九首」の出版
もうしばらくしたらお知らせできると思います。
ヴォア・ヴェール第四回演奏会
まだきっちりとアナウンスしていませんが、今年の暮れに演奏会を行います。近場の皆様には是非聴きにいらしてください。
・もう少し作曲する
昨年は子供が生まれたり、行事が多くてゴタゴタしていたので、なかなか時間が取れませんでした。しかし、今年も子供から目が離せそうもないのでやっぱり無理かも。
ただ演奏される当ては無いけど、器楽曲でいろいろ実験をしてみて、またYouTubeにでもアップできればと思っています。
・ブログで新連載したい
このブログに「セント」「ヘルツ」といったキーワードで来られる方も多く、いわゆる音の理屈について調べたい人も多いのではないかと思いました。一応、仕事でも音に関わる者として、こういうのを文章でまとめてみようかと考えています。題して、音楽家のための「音のリクツ」
もうちょっと準備をした上で、始めようと思います。乞うご期待。(といって自分にプレッシャーをかけておく)

2009年8月24日月曜日

委嘱初演・夢と幻想の仙台

Img_0034無事、東北大学混声合唱団の委嘱作品初演が終わりました。
大学内にある川内のホールも今は萩ホールと名前を変え、素晴らしい音響のホールに生まれ変わっていました。外観は変わっていないのですが、中はクラシック演奏のできる広い舞台、そして今風のシックな内装となっています。
このようなホールで、しかも多くのお客様の前で、拙作の初演を出来たことを大変嬉しく思います。
改めまして、今回の演奏会の企画からご尽力頂いた皆様に厚く御礼申し上げます。

50周年記念演奏会ではOBステージがあったのですが、そのために集まった人のうち、自分の世代に近い年代の方々と会えたのも演奏会の楽しい時間となりました。私は卒業以来、本当に不義理をしていて、20年もの間仙台には行っていませんでしたから、指揮の佐々木先生を始め、多くの大学時代の合唱団の先輩後輩は20年ぶり。本当に涙が出るほど懐かしかったですよ。会えて、本当に嬉しかったです。

私の中では、もはや仙台は記憶の中にさえなくて、夢の中に現れるような街なのです。
そんな街で拙作の委嘱作品を、しかも自分の指揮で初演したということは、本当に夢のような出来事でした。私の中の幻想の仙台に、また新しい印象が加わったように思います。

2009年6月24日水曜日

Hello World!

Birth周りの方々には、ちょっと遅れてご心配をおかけしましたが、無事男の子が生まれました。
この歳で第一子を授かり、生活も激変しそうです。関係される方にはご迷惑の無いよう心がけますが、何とぞ大目に見てやって下さい。
まだまだ実感が沸きませんが、そのうち私自身の価値観や言動にもじわじわと反映されてくるかもしれません。そのときは「すっかり親バカですね〜」とか月並みな突っ込みをしないようお願い致します。

今回の出産で何が面白いって、私の誕生日と息子の誕生日が同じ日になってしまったということ。ネタとしては面白いですが、きっとお父さんの誕生日は家庭内ではついでに祝われることになるものと思います。
では、今後とも父子共々よろしくお願い致します。

2007年3月12日月曜日

ヘルシンキに行ってきました

会社の5年に一度に取れる連続休暇を利用して、今回はフィンランドの首都、ヘルシンキに行ってきました。
ちなみに5年前の話題はここ
五日間ずっとヘルシンキに滞在して、トラム(路面電車)を乗りまくりながら、いろいろなところに行きました。まあ、はっきり言って今回の旅行の主目的は妻のショッピングなので、旅行日程はほとんど妻が考えたのですが。
ショッピング以外のことをトピックに分けてご紹介。
●ヘルシンキの気候
もちろん、北欧だから寒いです。ただ、防寒対策はかなり準備していったおかげか、あまり寒さは感じなかったのが正直なところ。気温はだいたい0℃前後でした。天候はほとんど曇りか、ちょい雪(ちょっと雨)。
そもそも北欧の雰囲気を堪能するなら、厳寒の冬か、日の長い夏にすべきなんでしょうが、そういう意味では中途半端な時期の観光でした。まあ、自然を堪能する目的でなかったので、どうでもいいんですけど。
●博物館と美術館巡り
ずっとヘルシンキにいたので、博物館や美術館にも行きまくり。
行ったのは、国立博物館、デザイン美術館、スオメンリンナ博物館、郵便博物館、国立現代美術館キアズマ、アテネウム美術館、の6つ。デザイン美術館はなぜかF1の特別展で、F1のレースカーが展示されてました。あと、キアズマ、アテネウム美術館で現代美術を堪能。オブジェとか、パフォーマンスを上映していたりとか、アバンギャルドな芸術もたくさんあって、何というかヨーロッパの前衛芸術に対する寛容さをちょっと感じたり。
●クラシックコンサート
当日券で、国立オペラハウスでやっていたチャイコフスキー「スペードの女王」を鑑賞。時差で眠くて、第2,3幕ではところどころ気を失ってました。正直、主人公の歌手の風体がいまいちだし、現代的な演出にも共感は覚えませんでした。最後のアカペラ男声合唱の音程がちょっと酷くて、全体的にう~んという感じ。
テンペリアウキオ教会での、フィンランド放送交響楽団の演奏会にも行きました。こちらは事前に日本でチケットを購入。これは大変面白かった。特に最終ステージのストラヴィンスキー「プルチネルラ」が面白い曲でした。指揮者は徹底的に音楽のキレを重視していて、残響の多い教会の中で、もやもやしない音像を実現していたと思います。ああいう固めの音楽作りって日本ではあまり聞かれなくって、個人的には大変気に入りました。

ヘルシンキは大都会というわけでもなくて、日本で言えば、広島とか仙台くらいの感じの大きさでしょうか。いろいろ見て回るのもちょうど良いくらいの広さ。どこにも英語の案内があるし、ほとんどの人が英語を理解するので、そういう意味でも安心(自分の英語力を棚においても)。恐らく日本よりも安全で、気楽に観光するにはなかなか良い場所だと思いました。