去年の今頃、Twitterについてこんなことを書いてました。
今年は社会的にいろいろなことがあったけれど、不思議なほど今の私は当時の心持ちとあまり変わっていません。
実際のところ、今年一年も去年と同様にTwitterを楽しみました。何か新しい展開があったわけでもないし、事件があったわけでもありません。多くの論客の意見に触れ、昨年同様いろいろ刺激を受けてきました。
フォローの仕方も去年から大差なく、フォロー返しなどもせずに、淡々と好きな人だけをフォローするというやり方。Twitterで合唱関係者と交錯することも何回かありましたっけ。
ただ、世の中の進み方に対するあせりのせいなのか、ネットサービスにいろいろ手を出したりした割には、あまり実りは無かった感じがします。
ネットの世界が現実を変えつつあるとはいえ、ものすごく早く進んでいることと、思ったより進んでいないことがあり,もう少しその辺りを見極めていくことが当面は重要となってくるでしょう。
私が思ったより進んでいないと思うことは、働き方の問題です。
ネット環境の進化で、いろいろな人が繋がりやすくなったのは確かですし、どこにいても仕事はできるようになってきています。しかしそれが、在宅勤務とか、組織を離れ個人で活躍できる人が増える、とかいった現象にはまだ結びついていません。
日本的な組織ではそれは厳しいのかもしれません。むしろ海外のほうがそういう環境がどんどん進化していくような気がします。
そういう状況の中で、私自身組織内で行なう仕事についてあまり邪険にするものじゃないよな、とちょっと思い直しているところです。
もう一つ、Twitterというのは本当に人格を丸裸にすると感じます。
Twitterは書きたくなければ書かなきゃいいのです。ところが、書かなければいないことと同じ。他人のつぶやきを読んでいると自分も何か書きたくなるし、何かを書けばそれを読んでもらいたいと思うものです。
しかし、書けば書くほど自分の世の中へのスタンスがどんどん明らかになるし、言葉遣いや表現方法でその人の品性まで知れてしまいます。これって、冷静に考えると怖いですね。
実際に長い間の知り合いでも、こんな人だったなんて知らなかった・・・なんてことはあります。
そうやって、知性、信条、人格、品性が丸裸になる社会・・・。でも、私は嫌いじゃないです。
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