2011年12月14日水曜日

音楽の形式─主題繰り返し型

前回類型したパターンのうち、3番目の「主題繰り返し型」は、特に明瞭な構造性を指向しない芸術作品において、最も扱い易いものではないかと思っています。

例えば、ある合唱曲を作曲するとします。
詩の冒頭の言葉で、ある印象的なメロディを思い付きます。そして、そのメロディを元に作曲を開始します。
ある程度の節が終わったところで、少し楽想を発展させたり、ちょっと曲調を変えたりします。それが一通り終わると、曲をエンディングに向かってしめなければいけません。
最もシンプルに曲をしめる方法は、というかそれ以外ほとんど思い付かないのですが、冒頭のメロディを使うことです。
もうこれは誰にでも思い付くというか、もうそうでもしないと収まりが悪い感じがしてしまいます。
「主題繰り返し型」というのは、そういう意味で普遍的だし、その感覚は作る立場になった人なら誰でも共感してくれるものと思います。

それでも、作曲家によってはもうひとひねりしたいという人もいるでしょう。
その場合、二回目に現れる主題は、一回目と全く同じにせず、伴奏を変えたり音量を変えたりするようなバリエーションが出てきます。
しかし、本来収まりが悪いから同じものを繰り返しているのに、二回目の主題の雰囲気が変わってしまうと、結局収まりの悪さを解消出来ない可能性が出てきます。この「収まり」の悪さは、もはや創作家の審美眼によるしか無いのですが、それでも客観的に見てそのセンスの無さを感じる楽曲は正直存在します。

演奏家として、ある曲に取り組む場合、まさにこういう構造性を感じるセンスが必要になるわけです。
あまりに「収まり」の良すぎる主題繰り返しの場合、演奏で冒険してあげる場合もあるし、逆に複雑すぎて主題の繰り返しが不明瞭な場合、何としてでも主題が繰り返されたことを強調してあげる必要があるでしょう。
もちろん演奏家は自分のやりたい曲をやればいいのだけど、その曲に構造的な弱点があるのであれば、それを補正し、構造性を増強するのも演奏家の仕事になってくるのです。

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