2011年12月25日日曜日

子供の想像力・創造力

まだ3歳にもならないウチの子ですが、少しずつ言葉を話すようになってきました。
さすがに自分には3歳の頃の記憶はないけれど(というか、学生の頃の記憶さえないけれど・・・)、周りのオモチャで遊びながら、ブツブツ言っているのを見ると、自分もそんなころの感覚を思い出したような気になってきます。

遊んでいる本人は、ちゃんとオモチャが偽物だと分かっているけれど、手元にあるモノを何かに見立てて、頭の中で想像しながら一人で会話したり、それを動かして模擬的な行動をさせたり。そうやって何かになりきることが大好きです。というか、自分が小さい頃もそういうことは好きだったし、うちの子も好きそうに見えます。

おもちゃを手にして何かを想像しながら遊ぶことは、恐らく子供の成長の過程で何らかの必要な行程なのでしょう。
いつかはそういう遊びを卒業して青春時代に入っていくのでしょうが、このように子供がオモチャを使って何かになりきって遊ぶことは、何かを創造することに繋がる感覚を覚えます。
ブロックを使って何かに見立ててものを組み立ててみたり、クレヨンで何かを書いてみたり、お人形で会話を楽しんだり・・・。これって、何か芸術的なオブジェを作ったり、絵を描いたり、小説を書いたりするようなクリエータとベクトルが全く同じに思えるわけです。

つまり、人間は生まれながらにして創造したい欲求を持っているクリエーターなのではないか、という推論が成り立ちます。
ということは、人は成長するに従って、だんだんとクリエーターで無くなっていくのではないでしょうか。
よく芸術家を評して「子供がそのまま大きくなったような」とか「子供のような感性を持った」などと言うことがありますが、それは一般的な真理としてあながち間違っていないのかもしれません。つまり、芸術家というのは、成長の過程で子供の頃に持っていたクリエイティビティを失わなかった人たちだということができると思います。

誰だってクリエイティブな人間になりたいと思うことでしょう。
それに今の世の中、いろいろなジャンルでクリエイティブな人材が必要とされています。
では、なぜ人は成長するに従ってクリエイティブで無くなっていくのか? それが重要な命題になります。

私見ですが、クリエイティビティを失わさせる原因は、どれだけ厳しくしつけをしたかにかかっている気もします。しつけそのものは、社会性を身につけるために必要なものです。しかし、それは幼児が感じた気持ちを抑え込んで、常識的な対応をするように強制することでもあります。
子供は大きくなるに従い、たくさんの規制を覚えていきます。もちろん人として生きていく以上、他人に迷惑をかけるわけにもいかないし、常識を逸脱して後ろ指をさされるのも良くはないことです。
しかし、そのように積み上げられた規制が一つ一つ、子供の創造性を失わせるのではないか、私にはそんな気がするのです。

まあ親としてはクリエイティビティを失わさせないために、しつけをしない、というわけにもいかないのですが、不用意にみんながやっているからといって行動に規制をかけるような言い方は慎みたい・・・とは思っています。

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