だいぶ前ですが、こんな話題を書きました。この中で私は、「piu f」「meno f」などは、音の相対的な指示である、と書いています。
しかし、楽譜の表記に正解、不正解は無いもの。自然言語と同じで、皆が違う使い方をしてしまえば、それが正しい使い方になってしまいます。
そして、この「piu f」の表記については、現在ではかなり多くの作曲家が絶対音量として利用している、と感じています。
例えば、f周辺で言えばこんな感じ。
mf < meno f < f < pif f < ff < fff
p周辺ならこんな感じ。
mp > meno p > p > piu p > pp > ppp
作曲家とすれば、f, ff, fff とか、p, pp, ppp といったように f, p の数のインフレーションを抑える、という利点もありますし、単純にフォルテを増やすより、中間を定義したほうが、音量制御に繊細なイメージを感じさせることができます。
ですから、現実には、絶対音量のバリエーションを増やす方向に使った方が誤解も少ないし、使いやすいのです。しかも元の定義からも、それほど間違った感じもしません。
とはいえ、相対音量の意味もある、ということを覚えておかないと、作曲家の国や時代によっては、間違った解釈をしてしまう可能性もあります。いずれにしても、この表記は絶対この意味、というように決めてかかるのは危険ということです。
ある意味、日本の作曲家の楽譜表記は繊細かつ過剰、な感じがします。洋物のほうがもっと淡泊な感じがするし、明瞭で潔いのです。だから、日本の作曲家の方が音量指示もきめ細かいし、アーティキュレーションも過剰。どちらかというと「事実を伝える」というより「気持ちを伝える」というニュアンスが強いのですが、その「気持ち」が実はなかなか伝わってなかったりするのです。
演奏の現場では、むしろ楽譜の表記についてあまり真剣に咀嚼されていないことが多く、こと細かい楽譜表記への対応は歌い手個人の裁量に任されています。たいてい指揮者より歌い手の方が音楽的知識は低いわけで、結果的に作曲家の「気持ち」が伝わっていないような気がするのです。
これは、演奏家の問題だけでは無いと思います。気持ちを伝えるために、過剰になり過ぎた指示が、逆に読み手の感覚を鈍らせている可能性もあります。いろいろ書いてあって良くわかんないけど、誰も何も言わないし、どうでもいいや、みたいな。
piu f のような指示はそういった微妙さを増やす要素にもなり、あまり多用するのは、楽譜を読む歌い手にとって必ずしも有効ではないような気もしています。そういうところにも、創作家としてのセンスが問われるのではと感じます。
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