6曲目は、実はもはや「生命の進化」を謡う音楽では無くなります。
この曲だけ、地質時代のタイトルが付いていません。架空の百万年後の世界がこの曲の舞台になります。
地球の歴史の時間感覚からすれば、あまりに急激に人類は発展し過ぎてしまいました。自らを過信した人間はこの地球を住めないほどの環境に変えてしまいます。そして人々は、百万年後の地球に戻るために、「ノアの箱舟」よろしく、時間旅行で未来の地球に旅立ちます。
ついに暗黒の地球に降り立った人々は、今こそ、新しい地球を作り上げようと誓いを新たにします。
曲はどちらかというと、ポピュラー音楽的な構造で作られていますが、寂寥感と絶望の中にあるかすかな希望、というテキストの内容を悲しげかつ壮大な雰囲気で表現します。特に終盤の盛り上がりでは、ショスタコービッチ第五番の最後のように執拗なピアノの同音連打で、状況の切迫感や新しい人類の決意を表します。
��曲目のテキストを通して間接的に啓蒙していることは、シンプルに言えば地球環境問題に対して意識を高めようということなのですが、私は反論の余地の無い正義側に立って、ただ正論を述べたいわけでは無いのです。
例えば地球温暖化と言うと、あまりに規模が大きすぎて、私たちのしたことの影響がちっぽけ過ぎるように思えます。しかし、世の中に起きていることは、そのちっぽけなことの集積です。
義務感のようなもので言われたことをやるというのでは無く、一人一人が自ら判断できる主体として、世の中について想像し、行動すべきなのだと思います。
そういった抽象的な人間のあり方を私は密かに主張したいのです。人間の本当の罪とは、想像力の欠如ではないかと思うからです。
それが大学生の歌い手、そして演奏を聴いて下さった聴衆の皆さんにどれだけ伝わるか、私に課した壮大な実験でもあります。
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