2010年10月12日火曜日

好きな音楽ベスト50(2010年版) 第5位〜第1位

では残りです。1位までをご紹介します。やはり長くなりました。

5位:ピアノトリオ/ラヴェル
一般的には、ドビュッシーはピアノ曲、ラヴェルは管弦楽みたいなイメージがあるけど、私はわりと逆。ドビュッシーは管弦楽で、ラヴェルは室内楽。そして、このピアノトリオはラヴェルの室内楽曲の中でもとりわけ好きな作品。
何といっても冒頭のテーマが美しすぎる。音色で飾り立てられない素の音素材として、これほど透徹したものはないと思う。その後のヴィルトゥオーソ的な展開もラヴェルならでは。時間密度の濃さとその毅然とした必然性。全ての音が正しく配置されている、としか言いようがない。
2,3,4楽章とどれ一つ外れがなく、楽章の流れも見事。3楽章のゆったりしたフーガはそのまま声楽曲にしたいくらい。そこからアタッカでなだれ込む4楽章のアップテンポの5拍子が変拍子好きの心をくすぐる。

4位:交響曲第5番/プロコフィエフ
結局これを入れてプロコフィエフは50位以内に4つランクイン。ちょっと入れすぎたかなと後で密かに後悔。そんなに好きな作曲家か、と言われると、まあ好きなんだけど愛憎半ばって気もしないではない。
プロコフィエフはもともと抽象度の高い分かりにくい部分はあるものの、この交響曲第5番は前衛性と叙情性、そして音楽の美しさが見事に結合した素晴らしい作品であると思う。一般には、プロコフィエフなりに、多くの人に理解されるよう分かり易く書かれた音楽とも言われている。
第一楽章、主題がフーガっぽく畳み込まれるように盛り上がる壮大さ、そして第二楽章のロックのようなビート感、第三楽章の緊迫した叙情、そして再び軽やかなビート感を持つ第四楽章。いずれも、隙間無く構築された精密機械のごとき音楽空間が展開される。

3位:夢のあと/椎名林檎
もともと東京事変のアルバム「教育」の中の1曲だけれど、その後ソロアルバム「平成風俗」にも収録。大好きな曲なので単曲でのランクインとしました。
平和を歌うミュージシャンは多い。そりゃ誰だって、平和な世の中がいいに決まってる。そのような手垢がつきまくった主題に対して、アーティストはどのように対峙すべきか? そこで芸術家としての非凡さが試されるのだと思う。
「手を繋いで居て 悲しみで一杯の情景を握り返して この結び目で世界を護るのさ」
泣けるじゃないですか。繋がれる手は誰のものかは明らかではないけれど(恐らく自分の子供)、手と手が繋がれたその結び目こそ、悲しみで一杯の世界と戦う唯一の力なのだと訴える。世界の巨悪と比べるとあまりに小さい結び目。でも、それが世界と対比されることで、この上なく大事なことだと思い起こさせる。
この感受性は、凡百のJ-POPアーティストには求めるべくも無い。自分の身の回りにある小さくて大切なもの、それの集積こそが愛と平和の世界を実現するのだ、ということ。それは永遠に無理かもしれないけれど、そういう気持ちを持ち続けることの大切さが切々と心に刻まれる。

2位:牧神の午後の前奏曲/ドビュッシー
クラシックを聴くようになって最初期の頃によく聞いた想い出の曲。
神話と幻想の世界。そしてそのイメージを膨らませる美しい管弦楽法。ドビュッシーの作曲当時の音楽状況からすれば、技法の異端さは群を抜いていた。しかし、私にはその異端さは単純な音楽技法なのではなく、そこから醸し出される音風景総体のイメージが、当時多くの人が良しとしていたものと相当かけ離れていたのだと思う。
既存の価値観をひっくり返す天性の芸術性がドビュッシーにはあった。すでにドビュッシーの中に確立されていた芸術観があり、彼はただ自ら信ずる価値観のまま、自分の求める音風景を楽譜に書き連ねただけだった。そして、初めて世に出たその音風景はまた、多くの人の心を魅了するに足る音楽だったのだろう。

1位:鉄への呪い/トルミス
そしてついに好きな音楽第一位は・・・、合唱曲です。しかもかなりマイナーな。国内ではほとんど聞くことが出来ない。数年前に某男声合唱団が全国大会で演奏したのは驚いた。しかも、内容を咀嚼した素晴らしい演奏! いつか何らかの形で私もやってみたいけれど、これは無理そう。
この曲の難しさは、音やリズムの難しさではない。むしろトルミスだから、音素材は実にシンプル。しかし、曲があまりに過酷な世界観を表現しているため、その表現にアマチュアが追いつくことが大変難しいのである。もちろん、振り付きのこの曲で、大量のエストニア語を暗譜しなければいけない、ということもあるけれど。
この曲の主題は一言でいえば反戦である。しかし詩はかなり寓話っぽい(実はまだ内容をきちんと把握してないけど)。それをシャーマンドラム、叫び、所作など、一般的な合唱表現を超えた方法で表現しなければいけない。合唱と言うより、もはやパフォーマンスに近い。
そして、トルミスがこの曲で書いた音符には、複雑な和声は全く現れない。土俗的な荒々しい旋律と、半音進行のフレーズ、ほとんど四度、五度程度の単純なハモり。どちらかというと、音楽的というより音響的な作曲だと言える。
だから、私がこの曲を好きだということ自体、自己否定に繋がりかねないのだけど、私にとっては音楽の視野を広げることの重要性とか、合唱の根源的な力を思い起こさせるといった点で、敢えて自分に自戒の念を想起させるため、この曲を好きだと言いたい(なんかややこしいですか?)。

そんなわけで、50曲それぞれについて書き続けてまいりました。
多種多様とも、偏っているとも言える私の音楽の趣味です。クラシックもジャズもJ-POPもロックも全て中途半端に好きで、かつ好きなものだけが好きなんです。これから、私の趣味にどんな新しい音楽が加わっていくのか、それが楽しみです。

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