2010年8月28日土曜日

指揮者と合唱団の関係 学指揮篇

一般合唱団であれば、指揮者はいちおう先生という扱い。団員との立場の非対称性が前提となっていますが、この非対称性が弱く、指揮者の地位の低さが宿命的であるのが学指揮という存在。
私自身は学指揮の経験は無いわけですが、今回は学指揮が指揮者としてどう振る舞うべきか、私の思うところを書いてみましょう。あくまで、私個人の意見ですから、書かれた通りにやったけどうまくいかなかった、といっても責任は持ちませんが。

●怒らない
「怒る」ことが許されるのは、立場の違いが明瞭な場合です。学校で、先生が生徒を怒ってもよいのは、先生が怒っても許されることを社会が一般認識として許容しているからです(最近は、やや様相が異なっているようですけれど)。
学指揮が練習中に怒った場合、同じ学生の分際で、そこまで言われる筋合いは無い、という心理的な反発が起こるのは当然。まあ、とりあえずみんなを黙らせるくらいの空気を作れる人もいますが、団員の何人かは心の中で強い反発を抱いていますよ。
「怒らない」で、うまく問題点を指摘することこそ、前に立つ者が磨くべきスキルだと考えます。

●教えるのでなく下僕として振る舞う
実力がある者が教える、という態度ではなく、みんなを代表して調べたり研究したりして、その結果を伝えるのだという態度を示すべきだと思います。
指揮者という立場になったことで、他の団員より練習している曲のことを多く調べ、音楽全般やテキストの文学的価値について研究することは当然のことですが、自分はそのような係になったのだ、と思って欲しい。いわば、合唱団の下僕です。
それが自分の自尊心を傷つけるのであれば、むしろ学指揮にならないほうが合唱団のためにもよいと思います。合唱団は気持ち良く上手くなりたいのです。

●成果は小出しに
自分が調べたことを一覧にしてプリントして配っても良いのだけど、なかなかみんなは端から端まできっちり読んでくれません。すごいねぇとは言ってくれると思いますが。
外国語の歌詞の意味のように、まとめて配ることに意味がある場合はいいのだけど、自分が調べた成果は練習中に小出しに発言していったほうが、練習も効率的になるし、あなたへの尊敬も日増しに増えることでしょう。

●どうやってあなたらしさを出すのか
学指揮であっても、前に立つのであれば、何らかの芸術的審美眼を表現し、自分なりの音楽世界を構築すべきです。先生の代理、というだけでなく、あなたらしさをさりげなく伝えたい。
その前にあなたの芸術観とは何か、自分探しを最初にすることになるでしょう。あなたの好きな小説は、マンガは、映画は、作曲家は、J-POPは、絵画は、建築は、お笑い芸人は、そういうものを全部洗いざらい出してみる。そうすると、何らかの傾向が必ずあるはずです。自分は音楽で何を伝えたいのか、あるいはどんな表現が好みなのか、それをまず自覚すること。
とはいえ、それを練習中に直接言って強要すると、学指揮らしさを損ないます。練習中にさりげなく、あなたの好きなモノの例を出しながら指導するのです。「ここは、アバターで、鳥に乗って空を飛んでいる感じで〜」とか(まあセンスは問われますが)。あまりマニアックなのもいけませんが、団員の半分くらいは知らないことでも構いません。

学指揮の役割は、合唱団を上手くすることです。学指揮の自尊心を満たすことではないし、ひょうきん者として人気を博すことでもありません。
お金をいただく指揮者の先生はちょっとだけ違います。合唱団を上手くすることで自分の株を上げることが、指揮者としての自分の商品価値を高めることになります。それが本職の指揮者の目指していることです。
その辺りをきちんと理解した上で、学指揮は本職の指揮者を真似るのでなく、合唱団の下僕となる覚悟が必要なのではと思うわけです。

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