2010年8月19日木曜日

編曲における著作権についての私見

編曲のとき、オリジナルの作曲者への許可が必要か、ということはネットでも多くの人が繰り返し質問しています。この件について、ややセンシティブな内容ですが、日頃思っていることを正直に書こうと思います。

ちなみに、ネット上にあるこうした質問への答えはほぼ「許可が必要」と書かれます。まあ、そのように聞かれれば、そう答えるしかないのも事実。しかし私流に、もう少し正直な言い方をするなら「許可を得ておけば絶対に間違いはありません」ということだと感じています。

まず編曲が、オリジナルの著作者のどのような権利を侵すかを考えてみます。
私は法律家では無いので、内容は保証しませんが、著作権とは言っても、財産が絡むものと絡まないものがあります。編曲して演奏しても原曲の著作権者には著作権料は入るのですから(ちゃんと申告してあれば)、編曲そのものが著作権者の財産権を侵すものではないことは理解できるはずです。
編曲を許可する権利とは、財産の絡まない著作権、一般に著作者人格権と呼ばれる権利によるものです。つまり、作品を勝手に変えられてスゴい傷ついた、とか腹が立った、といったときに申し立てることができる権利です。
もちろん、人格権は日本では有効ですから、勝手に編曲した後、著作権者から人格権の侵害だと告訴されれば裁判では負けることになるはず。
ただし、ここにはいくつかの「もし」があります。
もし、著作権者が勝手に編曲された事実を知ったら、
もし、著作権者がその編曲に腹が立ったら、
もし、著作権者が編曲者を告訴したら、
この条件が揃えば、編曲者の罪は確定します。

特に三つ目の条件は個人的に重要だと思うのですが、告訴できるのは著作権者のみ、ということです。こういった罪のことを親告罪と言います。例えば、演奏を聴いていたお客さんが「コレは良くない」といって訴えても、あるいは警察が許可を得ていない実態を知って訴えても、著作権者自身が訴えない限りは罪にならないのです。例えば、編曲を聞いたオリジナルの著作権者が「まぁ、なんて素晴らしい編曲なんでしょう」と思えば、罪どころか喜ばれます。
というようなことをつらつらと考えていくと、地方のアマチュア音楽家が勝手に編曲して、地方の演奏会でそれを取り上げたとしても、その行為自体が罪になる確率は極めて低いものであると考えられます。

もう一つ、文化的な側面で考えてみたいのです。
その昔の音楽では、「○○の主題による○○」みたいなタイトルの曲とか結構ありますし、原曲をリスペクトした上でその音楽を自由に編曲していた時代がありました。
あるメロディが別の創作家にインスピレーションを与え、それがまた新しい音楽の世界を生み出す、ということは極めて自然な行為だし、芸術的に何ら後ろめたいことは無いと私には思われるのです。
もちろん、中にはオリジナルよりダメダメになってしまった曲もあったかもしれません。でも、それはその音楽を聴いたお客さんが判断すれば良いだけのこと。少なくとも私は、自分の曲を別の人が編曲してくれるなんて、それだけ自分の曲が人に何らかの影響を与えたことを意味しているようで、とても嬉しく感じます。
自分の作品は一切編曲してはいけない、という創作家の態度を私は好みません。あまりにナルシスト過ぎます。芸術はもっと自由であるべきです。溢れ出る創作意欲を止めようとすることこそ悪ではないでしょうか。

と、ここまで書いてきましたが、私は許可なく編曲しても全然問題は無いと考えている、とここで断言するつもりはありませんよ。ブログに書く以上、公な意見ですからね。
後は、編曲したいと考えている皆さん一人一人が自分の行為を決定してください。

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