しつこく書きますが、過当競争になった今、世の中では常に新しいモノが求められており、様々な分野で創造的であることが求められています。サッカーでさえ、創造的なプレーとか、そういう価値観で評価される時代。決まり切ったことを愚直に行うことよりも、一瞬のセンスあるひらめき、のようなものが求められているのです。
すごく一般論化して言うと、人間の有り様というのが、時代によって変わって来ているのでしょう。多くの人々が食べていくのに必死だった時代、重労働に耐えられる体力が必要でした。工業化された時代では、工場で細かい作業を延々と行える集中力が必要でした。
もちろん、いつの時代でも独創的で芸術的であることが重要な職業はありました。しかしそれは全体の中ではごく少数。ほとんどの人はそのようなこととは無縁に生きていたのだと思います。
しかし、時代は変わりました。
単純労働は安い労働力を求めて海外に移り、コミュニケーションもWebで行える時代です。書類仕事もなるべく電子化し、頭脳労働であっても比較的定型的なものなら派遣社員に任されます。知識を得ることさえ、ネットでかなり事足ります。そうなると、もはや社員は新しい価値を生み出す創造的な仕事をするしか無いのです。というか、これだけはどうしても自動化、機械化、合理化できない仕事なのです・・・
仕事とは言え、多くの人が創造的なアウトプットを必要とされている状況は、一人一人が芸術家的資質を兼ね備えていることを要求されているようなものです。
芸術家なんて気持ちはさらさらないかもしれません。でも、芸術を作るとはどういう行為なのか、と考えることは、多くの人に必要になってくるのではないかと思われるのです。
ということで、しばらく、個人が社会活動の中で直面する「創造的アウトプット」について考えてみたいと思います。
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