半ば自虐的に言わせてもらうと、今回の課題曲G4の拙作「U:孤独の迷宮」は、さしずめ歌って楽しくない合唱の代表と言えるのではないかと・・・そんな気がしてきました。;_;
いや、課題曲だけでなく、この組曲「五つの母音の冒険」全体、そういうオーラが漂っています。もちろん、同様のテイストを持った邦人曲はたくさんありますが、実際、それらの曲は一部の有力団体に演奏されているだけという現実もあるでしょう。
言葉が無い、というのはそれだけで、歌い手を萎えさせるようです。どんな複雑な音でも、言葉があるだけでイメージが具体化されるからでしょう。本当は、同じような意味で、音楽によってイメージを具体化させようとしても、言葉よりも歌い手には響かないようです。
その一方、普通の邦人合唱曲が合唱関係者以外に受け入れられない理由の一つとして、歌詞が聞き取れない、ということが挙げられるのではないかと私は考えています。そもそも、合唱というのはよほどの努力をしない限り、歌詞が聞きづらい。なのに、さらにピアノが派手に鳴ったり、声部がポリフォニックに処理されることによって、なおのこと歌詞は分からなくなります。
実はだからこそ、外国曲には宗教曲が多いのでは、とも思っています。ラテン語の典礼文は、いわばお約束の歌詞であり、作曲家にとっては絶対音楽的な取り組み方ができるからです。
歌詞を聞き取りやすい音楽と、歌詞が無くても音楽として鑑賞に耐え得る音楽、このような二つの反するベクトルが「聴いて楽しい」に向かうと思っています。
あえて悪い表現をするのなら、歌い手に音楽を構成する部品としての自覚が足りないのではと思います。自分にメロディがあれば嬉しい、自分に歌詞があれば分かりやすい。こういう感覚を乗り越えて、そこで展開される音楽全体に想いを馳せる必要があります。
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