民族性うんぬんなどというと、どんどんマクロ的に話が発展していくので、これまでと似たような話題ですが、もうちょっと合唱の現場に近い視点で思うことなど。
今の日本の合唱音楽の問題は、合唱界自体の閉鎖性にあると思います。その閉鎖性の由来は、何度か書いているけれど、聴衆不在の演奏が多いということ。ありていに言ってしまえば、聴いて楽しい音楽が少ない、のだと思います。
ところが、合唱をやっている当の本人たちは、あまりそうは思っていない。自分たちが心を込めて歌えば、きっとこの曲に込めた想いが伝わるはずだ、という根拠の無い希望だけを胸に抱いて日々練習しているわけです。毎日合唱の練習をやっている人は、残念ながら、一般の人がどのような合唱音楽を良いと思うか、という感覚からどんどん遠ざかります。合唱をやっている人が合唱音楽を聞けば、歌い手的な立場で聞いてしまうので、もはや一般リスナーとは聴くときの視点(聴点?)が違ってしまいます。
つまり何を言いたいかというと、「歌って楽しい曲」と「聴いて楽しい曲」には微妙なずれが存在するということです。
日本の合唱界のように聴衆不在の閉鎖的環境では、聴いて楽しい曲が育たず、むしろ歌って楽しい曲が増えていきます。ところが、ときおり海外の合唱を聞いてえらく感動するのは、たいていの場合それが「聴いて楽しい曲」だからであり、そういう音楽をきちっと演奏できる実力が備わっているからです。
なぜ、日本の合唱音楽では「聴いて楽しい」よりも「歌って楽しい」に向かってしまうのか、それはまた別の機会に考えるとして、しばらく「聴いて楽しい」要素とは何か、「歌って楽しい」要素とは何か、具体的に考えてみましょう。(すでに書いたことがあるようで・・・)
こんにちは。
返信削除以前合唱コンクールで課題曲「だるまさんがころんだ」を歌った事があるものです。長谷部さんが一度合唱団の練習にいらして、いろいろ指導してくださいました。(ノース・エコーと言う合唱団です)
その節は大変お世話になりました。作曲家の視点からのお話は大変ためになりました。
私は合唱もしていますが、音楽を聴くのも大好きでいろいろなジャンルを聴いています。
ただ日本の合唱曲を聴く事が正直退屈に感じていたところです。それはなんだろうと思っていたところ、こちらの記事を拝見して、
��日本の合唱界のように聴衆不在の閉鎖的環境では、聴いて楽しい曲が育たず、むしろ歌って楽しい曲が増えていきます。
というところを読んで、なるほどと感じたわけです。
トラックバックしましたので、もしよろしければご覧ください。
今度の土曜日日曜日は合唱祭なのでそのことを絡めて私が感じていることを書きました。
ピースうさぎ様、こんにちは。
返信削除合唱祭は、特に厳しいですね・・・
土曜日にやっていた「世界一受けたい授業」って番組で青島広志氏が合唱の指導をやっているのを、笑いながら見ていました。
やっぱり合唱って、みんなで声を出して、気持ちを合わせて!って感じで、そういうのがどうしても原点になっているんだよな、と実感。
歌うって気持ちいい!ってのは確かだけど、そこから人様に聞かせるというところまでには、大きな大きな深い溝があるんですね~。