例えば、よく合唱団の練習には公民館を使いますが、その部屋にはピアノが置いてあることでしょう。実際、それほど値段は高くないアップライトピアノですが、それなりに乱暴に扱われるし、毎年調律をする必要はあるでしょうし、結構維持費がかかるはずです。それが電子ピアノに変わるなら、アップライトピアノよりは安いでしょうし、何より調律の必要がありません。多くの自治体が赤字の折、これは結構なコストダウンになります。
同じように小学校や中学校などのピアノはどうでしょう。各種集会場や、教会などは?ホテルのラウンジや、レストランなど、用途として電子ピアノでも構わない場所はいろいろあるように思います。商売ならなおさら、経済性でものを考えれば電子ピアノで十分、という判断はあり得ます。
それでも、芸術というのは費用対効果で考えることを拒絶させるイメージがあります。これが、先日紹介した「金と芸術」という本でも言っていた芸術の神話というやつです。あるいは、前々回書いた権威主義的な発想とも言えるかもしれません。
だから、実際にはそう簡単に、いろいろなピアノが生から電子にすぐに変わることはないでしょう。まだまだ、生ピアノ信仰は根強いと思います。安物であろうと何であろうと、電子ピアノが目の前にあるよりは安心してしまうというのが一般的な心理だと思います。
しかし実際、アマチュア合唱団の練習時に生ピアノでなければならない必然はそれほどないし(ピアニストは嫌がるでしょうが)、ましてやピアノを習いたての子供など何をかいわんやです。(などというと、最初から本物の音に触れさせるべきだ、と逆に説教されそうですが・・・それだって、本物の音って何?と言いたくなってしまう)
皆が現実的に考えられるようになるのには、まだ数十年が必要ですが、その頃までにはじわりじわりと身の回りに電子ピアノが忍び込んでいくはず。
もちろん、生ピアノは絶対なくなりません。むしろ、少量生産になっていくことで単価は高くなり、生ピアノのステータスは逆に今より上がっていくことになるのではないでしょうか。
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