2012年4月14日土曜日

アイデアとは何か?

今やどんな活動をしていても、何か新しいアイデアを考えなければならない、という状況にある人は多いのではないでしょうか。

私は幸か不幸か、アイデアを出せ、と言われて追い詰められるような(幸せな)立場にあまりなったことはありませんが、日頃からアイデアを考えるのが大好きな性分で、自分の領域ではないことまであれこれ意見を言いたくなってしまう、ちょっと面倒な人です。最近は、歳を取って発言し易くなったせいか、そういう性格がさらに加速している気もします。

私から見ると、いろいろな場所で本来アイデアを出すべき人が全くというほど出していないように見えます。
あるいは、そういう立場の人が「みんないいアイデアはないか?」と尋ねるようなこともしばしば。残念ながら、そのような場でいくら優れたアイデアが出されても、それがうまく実行されることはないでしょう。

そこに、アイデアに関する一つの真理があります。
つまり、アイデアの実践は、アイデアを出した者が中心になってマネージしなければ本当の意味では達成できない、と私は考えます。
それはなぜかというと、アイデアとは抽象的なイメージでシンプルなキーワードで表現することは可能ではあるけれど、逆にそれだけで全てを伝えることは不可能だからです。
アイデアを考えた人も、もちろん細部にいたって完璧に考えているわけではありません。しかしアイデアとは座標ではなく、ベクトルとでもいうべきものです。だから、それを作る過程でアイデアを出した者が全ての決定権を握らなければ、本当の意味でそのアイデアを達成したことにはならないのです。

またアイデアとは、基本的には既存のものの組み合わせです。
逆にその程度のものでなければ、一般の人はついて来れません。人に何か影響を与えるためにアイデアを考えるのですから、一般の人がついて来れないモノを考えても意味はないのです。
ところが、既存のありものというだけで、「新しくない」と判断するセンスのない人がどうしても存在します。逆に、今までに無い新しさを追求するあまり、非常に痛々しいモノを作ってしまうようなこともままあるものです。
クリエイティビティの質とは、「既存のものの組み合わせ」のセンスの善し悪しなのです。そのためには、既存の優れたアイデアを常日頃から摂取するような生活をしなければなりません。その人がアイデアの宝庫であるためには、そのセンスを研ぎすますために、他人の作品から刺激を受け続ける必要があります。その蓄積が、組み合わせの可能性をさらに増やしていくことになるからです。

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