創作活動はアイデア出しの連続です。少なくとも、私にとってそういう観点で曲を書いています。今回はアイデアについて、作曲という観点から自分の感じることを書いてみようと思います。
まず曲の構想段階でのアイデアはどうでしょうか。
合唱曲の場合、一般的には既存の詩を選んでそれに曲をつけることを選択します。これが曲の構想とほぼ一致する行為です。詩が決まれば、曲の雰囲気も、規模感も、楽曲の起伏もだいたい決まってくるからです。
自分がよく使っている詩人から詩を選ぶ場合、この段階でのアイデア度は低くなります。
逆に、完全ヴォカリーズであるとか、切れ切れな言葉の断片をテキストにするとか、長い文章から言葉を抜き取るとか、もちろん自分で詩を書くとか、テキスト自体を創作するということになると、そこには多くのアイデアが入る余地が出てきます。
そういう意味で作曲=アイデアとでも呼べるのが、マリー・シェーファーの一連の合唱曲です。Magic Songsでは動物たちの生態のようなものが音楽化されているし、ガムランでは器楽を敢えて口三味線で歌わせます。
それは音のでるものなら、何でも声で真似しちゃえ、という態度がベースになっていますし、その上で作曲家が何を主張したいのかがより明瞭になるわけです。
大切なのは、「これを声でやったら面白い」というアイデアだけでなく、その中にどんな主張を込めるかという点です。アイデア優先のとき、それが目的になってしまうと、そもそもなぜそうなのかという視点がすっかり抜け落ちることが起きてしまうからです。
主張というとややお固い感じを受けますし、平和とか愛とか、そういうありきたりで抽象的なものをイメージする人も多いですが、そういう部分にももっと独自性があるべきでしょう。この辺りが凡庸なものと面白いものの分かれ目になると思っています。
次に実際の作曲過程のアイデアはどんなことが考えられるでしょう。
これは現実には、手癖との戦いとも言っていいと思っています。鍵盤を叩きながらフレーズを考えたり和音の展開を考えていくと、どんどんいつもの自分のパターンに陥っていきます。
もちろんアイデア自体、自分が思い付くものには限りがあるし、自分のパターン化があるわけですが、それでもマンネリな曲展開に刺激を与えるために、時々意識的なアイデア投入が必要です。
例えば、最低音のパートであるベースに和音の第三音を持っていくとか、突然ユニゾンにするなど和音感を逆に薄くしてみるとか、ビートを四分音符ベースから二分音符ベースにしてみるとか、変拍子を挿入してみるとか、いろいろな方法で曲に刺激を与えていきます。
今書いたことは自分が思い付いて書いていることなので、私の曲に顕著なのですが、もちろん他の作曲家にはそれぞれ自分なりのパターンがあるものと思います。
こうやって考えてみると、作曲におけるアイデアというのは、マンネリ打破のための積極的な刺激投入策という言い方が出来るのかもしれません。
0 件のコメント:
コメントを投稿