2019年9月22日日曜日

アート主義の時代と私がやってきたこと

2012くらいからmakeにはまった。
合唱はそれからまだ3年ほどはやっていたけれど、2015年にやめた。
その間、これでビジネスできないか、ずっと考えてきた。もう7年も。
これだけ長い間、同じようなことを考えて何も行動していないのだから、きっと私はまだ10年も同じことを繰り返しているに違いない。
本当はどこかで行動が必要なのだろうけれど、全く勝算がない行動はどう考えてもとれない。

アート主義の時代がいつ来るのか、その見極めが大事だ。
今の資本主義は当然、そう簡単には終わらない。しばらくはアート主義と並存する期間がある。少なくとも20-30年くらい。

それでも、数年くらいのうちにアート主義が立ち上がる、という楽観的な見通しの上で、自分の計画を立てるしかない。

アート主義はどんな形で立ち上がるのか?
GAFAMに代表される巨大ITプラットフォームが世界帝国化する。彼らは納税義務さえ軽々飛び越え、利益を出し続け、先端テクノロジーに投資し続けるだろう。
その一方、ほとんどの企業は才能を吸われ、抜け殻のようになり、プラットフォームにしがみつくしか生きる術がなくなる。

国よりも強くなったITプラットフォームは、便利さで人を操作する。
法律よりも強く人の行動を制御できる力を持つようになる。
中国は国家権力で、EUはGDPRなどで対抗する。どこが勝つかは分からない。
意外と中国かもしれない。その可能性は常に心の片隅に置いておく必要がある。

なぜなら、中国ほどオープンソースの精神が進んでいるところもないからだ。ITプラットフォームも依然として大事な技術は抱え込む。しかし、SDGs的な価値観からいえば、優れた技術は囲い込むのではなく、公開すべきだ。そのためには、自分たちが儲ける、という価値観を越える必要がある。

GDPRについては、いまひとつ筋が悪いと思う。
倫理的なルールで人を縛るのは無理だ。人の欲望を使って、人を制御するべきだ。

データをどう扱うのか、そのあたりの展開は注意する必要がある。それにより、ゲームを先導する主体が変わってくるからだ。
できれば、ITプラットフォームでもなく、国家でもないほうがいい。オープンソースをべーすにしたものであってほしい。

つまり、自分のデータはどのプラットフォームからもオープンなフォーマットで吸い出すことができるようになっていればよい。技術的に難しくても、誰かが簡単にできるようにしてくれる。
例えば、Gmailが嫌になったから、別のメールシステムに乗り換えたいとき、Gmailを全てオープンフォーマットで吸い出せればよい。(今でもできるとは思う)

そういう仕組みが無ければ、そのサービスが廃るような価値観になってくれれば、ある程度自分のデータを自分で制御するすべは手に入ると思う。

で、アート主義にどう繋がるかはまた別途。


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