2011年8月16日火曜日

SNSとの付き合い方

中東の民主化にFacebookが大きく影響したと言われています。
そして、イギリスでもTwitterなどで暴動が拡散したとか。しかし、相手が独裁者なら革命として賞賛されるSNSの威力も、イギリスのような民主国家では単なる暴動のきっかけにされてしまいます。それを見て参加しようと思った人の感覚は同じようなものなのかもしれないのに。
しかも、イギリスでは政府がTwitterやFacebookを遮断するかも、なんて話まで出てます。中東や中国ならともかく、ITの恩恵を受けていたヨーロッパでそんな話が出るなんて、ちょっと信じられません。

さらに最近のニュースでは、とある学校では先生と生徒はFacebookで友達になってはいけない、というルールを決めたといった報道もあります。
確かに、いくら仲良しであったとしても、先生の情報が生徒に筒抜けではまずいのかもしれません。しかし、そういう利害関係で結ばれている人たちは世の中にたくさんいると思います。医者と患者とか、検事と弁護士とか、警察とヤクザとか、ライバル企業同士とか・・・。

いくら個人が自分の責任で誰と友達になるか考えるべき、といっても、世の中の全ての人が正しい判断を出来るわけでもないし、そもそも何をもって正しい判断か、ということ自体曖昧な気もします。
結局、TwitterやFacebookといったSNSを使う以上、どこまでも情報は大っぴらになっていくし、本来隠すべき情報さえ表に出やすくなるという現象は避けられないように思うのです。

私の場合、これらのSNSでとりあえず会社の仕事の話題を直接出さなければ、それほど問題になるような事態を引き起こすことはありません。しかし、仕事の話題で無くてもあまり言うべきでないことを言って、微妙な感じになってしまうことは無いこともないのです。
もし、Facebook的なSNSで、会社の人とやり取りしていてクローズドだからと仕事に関係する話題など出れば、問題になることは今後もっと出てくると思います。実際、他の人の書き込みなどを見ていると、そういう不安は、いずれの日か現実になるような危険を感じます。

逆にそういった事態を恐れると、本来Twitterでもプライベートっぽいつぶやきだから面白いのに、自分の利害関係者が増えてくるに従い公共性を纏いだし、淡泊な事実を告げるだけのものになっていきがちです。そして生の声で無くなるほど人々の興味は失せていくでしょう。
今はフリーな立場の有名人が他人との軋轢込みでSNSをうまく使いこなしている感じですが、それを見た私のような一般の人が同じようなことをし始めると、いろいろな問題が生じます。そして日本の場合、そういう問題への対処として簡単に会社での使用禁止とか、そういうバカな方向に向かうような気がするのです。

もちろん、使用禁止などと言うのは一過性の話。
もう少し長い目で見たとき、SNSはただの流行りなんかではなく、世界を根本から変えるくらいのインパクトが実はあるような気がしています。どんなふうに変わるかは未だに読めないのですけど・・・

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