SNSが世界を根本から変えるインパクトがあるのでは、とこの前書きました。
じゃあ、どんな風に変わるのか、と考えてみたくなるのが私なのです。
一頃、「mixi疲れ」なんていうことが言われた時期がありました。
たくさんの人と友達になって、メッセージをやり取りしているうちに、返事を書くことが義務みたいになってきて、あまりに大量の返事を書くのに疲れ果て、突然mixiを止めてしまう、といった現象です。
普段の生活では、何気なく会話を無視したり、適当にあしらったりすることがあっても、まあ何となく許される場合はあるものです。ところがネットになると、無視したことはあからさまだし、友達申請をして受理されなければ「どうしてだろう」と考えてしまいます。
それでも多くの友人の生活情報が入ってきたら、面白いものには声をかけたくなるし、逆に自分にコメントをもらえれば嬉しいものです。そういったポジティブな感情をベースにこういうサービスは設計されるものですが、人間ですから、いつだってポジティブにいられるわけじゃありません。
心の底では、アイツうるさいなぁ、目障りだなあ、と思っていても、そんなことを直接言うわけにもいかず、無理してレスを付けているうちに、どんどんストレスも溜まっていくでしょう。
いきなりマイナスのことばかり言ってしまいましたが、こういうことを総合していくと、ネットで生活をベースとしたコミュニケーションがそれほど盛んになるとは私には思えないのです。
現に、PCに向かってそのようなコミュニケーションをひたすら行うことを良いことだと思わない人も多いことでしょう。今さらそういう人をオタクだとは言わないでしょうが、人間関係なんてまずはリアルな交流があってなんぼのものです。
ネットはもっと、具体的な情報・知識を得たり、自分が得するものを探したりするようなドライな関係で利用するほうが圧倒的に効率的に思えます。ある意味ビジネスライクな関係です。
もちろん、これは金銭的な冷たい関係という意味ではありません。
どんなビジネスだって、お金よりまず先に、人が喜ぶモノやコトを提供したいという気持ちが先にあるわけで、そんな思いをかなえるツールとして、ネットやSNSは実に魅力的です。ビジネスを成功させようと思うと、ネットやSNSには小規模なビジネスが効率を上げられるようなリソースがたくさんあることに気付きます。
そのように考えると、ネットを上手く活用出来る人とは、ネットを利用して何らかの情報・知識・サービスを提供できる人、自分自身のアイデアや作品を提供できる人、といったタイプの人々です。
実際、世の中に知識・情報・作品を提供できる人々は、全体の2割くらい。残りの8割はそれを利用する人。そういうように世の中が変わっていくとすれば、所属する組織とは別次元で、人間の階層構造が出来るのではないかと思うのです。
もちろんその2割の人々は、将来的にはネット・SNSを利用して収入を得ることが出来る人々です。
芸能人、有名人となれば、その人の私生活の情報にも価値が出て来ますが、そうでなければ友人の私生活は周りの人しか興味の無いこと。私には、それがSNSの本質とはあまり思えないのです。
確かに、自分が見た面白いモノ、ちょっとした事件、嬉しかったこと、などを友人に伝えて、反応があれば嬉しいでしょうが、それはネットだけでなくリアルな生活とほどよく調和してなんぼのもの。
SNSの本質とは、他人に影響を与える2割の人々が形成され、その人たちが中心になって、マスコミに代わる新しいメディアになったり、芸術家の作品発表の場になったり、人々の教育の場になったり、ビジネスのためのツールになったりすることだと私は思うのです。
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