2010年7月30日金曜日

リアル本は簡単には無くならない

iPad、Kindleのおかげで電子書籍の時代になるのではと言われています。
ニュースでも、電子書籍の流れに遅れまいと、電機メーカー、出版社、取次業者などの連携話が絶えません。確かにちょっとでも遅れると、アメリカ企業に全部おいしいところを取られるという危機感があるのでしょう。

しかし、電子データを買うという行為について、もう少し冷静に考えてみて欲しいのです。
50年後にあなたが買った電子データは一体どうなっているでしょうか? 50年経っても今のiPadやパソコンも持っているなんて無さそうです。そうこうしているうちに電子ファイルのフォーマットが変わったらどうなるでしょう?
ある程度大規模でしっかりした販売業者なら、販売記録もあるだろうし、データコンバートの仕組みも整えるでしょうが、そうでなければ、買ったデータはいつか読めなくなります。業者としても、過去に売ったデータのサポートまでは(利益にならないから)本当はしたくないはず。「お客様のデータはすでにサポートされていない形式です」みたいな。
ユーザだって、フォーマットが変わったり、自分が新しいハードを買う度に、データをコンバートするなんて面倒なことをしたくないはず。
こんなことを人に言うと、きっと技術が進歩してうまくやってくれる、みたいなことを言われますけど、これまでのPCの発展の歴史を見れば、それが無理なことは明白。
だいたい50年前にある人がある本を買った記録を残してくれることを、誰が保証してくれますか。多くの企業がそういう未来の負担を知ってか知らずか、データ販売をやりたがるというのは、私はかなり危険な香りを感じます。

全くの無料になればクラウド上のデータを落とせば良いので、問題は無いでしょう。それだって、過去に有料だったものをいつ無料化するかっていうのは悩ましいです。
結局、お金を払って買って、なおかつ長い間手元に置いておきたい本は、電子書籍には不向きだと思います。逆に新聞、雑誌などの情報誌は電子書籍に向いているかもしれません。
世の中の書籍データの価値がどう変わるか分かりませんが、あんまり早急に電子データを買って、後でデータを失って痛い目を見ないように気をつけたいものです。

2010年7月26日月曜日

34.デジタル信号の流れ

デジタルは単なる数字です。当たり前ですが、耳元で数値の羅列を囁かれても、それは音楽としては聞こえてきませんよね。空気の振動を数値に変えたり、また数値を空気の振動に戻してあげる必要があります。
実際の音をデジタルで取り込むには、マイクが必要になります。マイクで録音した音声をデジタルにすることをAD変換(アナログからデジタルへ)と言います。逆に、デジタルのデータをアナログにすることをDA変換と言います。DA変換されアナログになった音声はスピーカーで本物の音になります。

つまり、デジタル音声を扱うには、AD変換とDA変換の必要があり、アナログの部分に音を入力するときにはマイクを、アナログ音声を出力するときにはスピーカーが必要になるわけです。
上図の「デジタル各種処理」とは、実際どんな処理が考えられるでしょう。
録音時の場合、雑音の除去、音量の補正、曲の区切りなどのインデックス付けなど、再生時の場合は、再生装置の音響補正や、再生機器の機能としての残響付加、サラウンド効果、といった処理が考えられます。

デジタルな音声システムにおいては、どのようなマイクやスピーカーが重要でしょうか?
あくまで私見ですが、デジタル化が進むほど、入力側のマイクの性能が重要になり、むしろ出力側のスピーカーの品質は重要ではなくなると考えています。
スピーカーの場合、部品の品質の低さをデジタルで補正することがある程度可能です。一般に小さいスピーカーでは低音は出にくいのですが、上図のデジタル処理の中で、低域を多めにしてあげれば良いのです。また、周波数によって出力にムラがあるようなスピーカーでも、ピンポイントでデジタル補正してあげることも可能です(イコライジング)。
一方、マイクの場合、録音時に欠落してしまったデータはあとで追加することは出来ません。ある程度の補正は可能でしょうが、後でデータを加工するのなら、オリジナルの録音はとことん高品質で録られる必要があります。
昨今、音楽録音用のICレコーダが一つの製品ジャンルとなり、各社から発売されています。マイクも会議用のショボいものではなく、音楽用の結構立派なマイクになっていて、録音機材の環境はかなり良くなってきています。こういった機材で生演奏を録れば、高品質な録音データが得られます。

2010年7月24日土曜日

告白/湊かなえ

昨年の本屋大賞受賞作。なんか本屋大賞ウォッチャーみたいになってますが、この本、もともと妻が新幹線の中で読んで面白かったから読んだら、と手渡されたもの。
率直に言って、この小説、一言でいえば「不快」です。しかし、読まずにいられない不快さなのです。人の心の中のマイナス感情ばかりが増幅されます。嫉妬、嫌悪、蔑み、そして復讐。ディテールも細かく描かれ、内容のリアルさがまた薄気味悪さを醸し出すのです。
本書を貫く「熱血」嫌いな感性って、わかるわかる、と思う人も多いのでは。私も内心ほくそ笑みながら読みましたが、この著者自身、無闇な熱血礼賛傾向を嫌っているのでしょう。そういう、建前はそうだけど、でも本音は違うようね〜みたいな感じが赤裸裸に書かれていて痛快な反面、倫理的な危うさも伴います。

ちょっと前に書いた「天地明察」と正反対な小説。かたや、男のロマン追求、難事業成功物語ですが、この小説は、女の愛憎劇、救い難い陰惨な結末、という感じ。真逆でも心に何か刻まれる、という点では、いずれも強い力を持っているわけですが・・・。


2010年7月22日木曜日

iPhone4入手

ネットで予約してから2週間、ようやくiPhone4を入手。
自分でSIMカードを入れて、アクティベーションを行うという楽しい体験をさせてもらいました。こんなやり方で携帯の買い替えが出来るんだったら、お店もいらなくなるんじゃないでしょうか。まあ、iPhoneだから出来ることなんでしょうけど。

iPhone3Gを買ってから2年。当時は、スマートフォンが欲しかったと思っていたときに、ちょうど話題のiPhoneが日本で発売されたんで、これは面白そう、と飛びついたのがきっかけ。しかしこの2年でアップルの存在感はとてつもなく大きくなってしまいました。
特にiPadが出てから、今や世間はiPadの対応で右往左往状態。これだけ社会にインパクトのある商品を出せるアップルという企業の恐ろしさを多くの人が感じていると思います。今や、iPhone/iPadでどのようなアプリを作るか、ということが多くのビジネスシーンで重要なissueになっているような気がします。

そんなわけで、気がつけば私自身、すっかりiPhoneにハマってしまい、アプリを4つもリリースすることになっていました。iPhone3Gでは、iOS4でサポートされたマルチタスクが動作せず、買い替えざるを得ない状況にさせられたのはアップルの思うつぼ、という感じです。
実際にiPhone4を手にして思うのは「すべてを変えていきます」というキャッチコピーの割には、ただiOS4が載っている速くなったiPhoneという感じ。ゲームをする人ではないので、ジャイロとかあんまり必要だとも思えないし・・・。あ、でも動画が撮れるのはちょっとだけ嬉しいですね。
しかしまあ、速くなる、ということは良いことです。特に携帯の場合、それは使い易さに直結します。今まで8GBでしたが、今回は32GBにしたので、当面容量も気にすること無く、音楽や写真やたくさんのアプリを持ち運べます。
そんなわけで、しばらくはiPhone4で楽しめそうです。

2010年7月19日月曜日

辞世九首(in福島)をYouTubeにアップ

��月に福島市で行われた声楽アンサンブル全国大会に出場したことはお伝え致しましたが、このときの「辞世九首」の演奏をYouTubeにアップしました。
このページにも貼付けておきます。賞無しの演奏ではありますが、会場の素晴らしい音響に助けられてそこそこ聞けるのではと思います。よろしければご覧ください。
なお、YouTubeの大きな画面で見たい方は、右パネルの「YouTube-Myチャンネル」でどうぞ。








辞世九首の楽譜はコチラから購入頂けます。



インセプション

「ダークナイト」のクリストファー・ノーラン監督、ディカプリオ、渡辺謙が出演する「夢」を題材にした映画。久し振りに時間を作って何を観ようか迷った末に選んだ映画がコレ。
しかし、なかなか面白かったです。「ダークナイト」では正義と悪の微妙な境界線を描いたこの監督、今回は夢と現実の微妙な境界線に挑戦。
「うつつは夢、夢こそまこと」という江戸川乱歩の言葉を地でいくようなストーリー、"A Dream within a dream"なんてポーの詩の題名と同じ台詞も何度も出てきて(この詩に曲を付けています)、個人的にはこういった題材、とても共感します。

しかし、この映画を観ていない人にどう紹介するかは大変難しい。そもそも、映画の設定が大変複雑で、見終わっても?がいっぱい。やや強引にストーリーを進め過ぎて、難解な映画になっているのです。それでも敢えていうと、人の夢の中に共同で入り込み、人の意識から何かを盗んだり植え付けたりする仕事をしている主人公とその仲間たちが、ある依頼でチームを組んで目的を達成するまでを描いています。
夢の中に共同で入るっていうのが、またまた「マトリックス」っぽくて、面白い。みんなで同じ部屋で何か電極を付けて一緒に寝るわけです。こうすると、共同で別の世界に旅立てます。

そして、このストーリーに主人公のコブの個人的な恋愛の話が執拗に割り込みます。
この夢の世界にすっかり魅了され、二人だけの世界から離れられなくなったコブの奥さんは、現実の世界に戻ることを拒むのです。目的を達成するための派手なドンパチと、コブの退廃的な恋愛ストーリーが複雑に絡み合い、二人の過去が少しずつ暴かれます。ストーリーは最後の最後で、夢か現実かわざと曖昧にされていきます。

もう一つ、この映画の面白い点は、その映像芸術にあります。夢なら何でもあり、という幻想世界を描くには、それ相応のセンスが必要。序盤での日常に街に起きるあり得ない出来事はとてもシュールだし、主人公が設計したという夢の世界もとても幻想的。シュールレアリスム的芸術世界を堪能できるというのもこの映画の魅力でしょう。関係ないけど夢の中に迷路を作る女子大生の名が「アリアドネ」なんだよね〜。

しかし、見終わってもなお意味の分からないことがたくさんあります。
そもそも、チームを襲ってきた人たちは一体なんだったのかが良く分かりません。敵方も同じ夢に侵入してきたかと思えばそうでもなさそうだし・・・。それから、虚無に落ちる、とは何を言っているのでしょうか。意味分かりません。取りあえず爆弾を多用するのは、夢を一段階覚醒させるためだというのは何となく理解できましたけど。

2010年7月18日日曜日

33.横に区切る─量子化

次に波形を横に区切ってみます。波形を横に区切るということは、波形の振れ幅を調べるということになります。横に区切るのを細かくすればするほど、波形の振れ幅を正確に表現することが出来ます。

波形を横に区切ることを量子化といいます。サンプリングは時間を表しましたが、量子化では波形の振幅を扱います。

波形の振れ幅というと、どれだけ大きい音を記録できるか、というふうに捉える方も多いと思いますが、どちらかというとそれは逆です。つまり、どれだけ小さい音を記録できるか、というのが量子化の性能の高さを表します。
デジタルの特徴は、枠をはめるということです。
デジタルでは、最初から記録できる最大音量が決まってしまいます。ですから、どれだけ細かく量子化できるか、ということは、どれだけ小さな音が記録できるか、という性能になっていくのです。

一般に、記録できる最大音量と最小音量の差のことをダイナミックレンジと言います。現在のCDでは、横に区切る細かさは65536段階。ずいぶん中途半端な数字だと思うなかれ。コンピュータの世界では、非常に切りのいい数字なのですよ。一言でいえば2の16乗、つまり16[bit]のデータです。
ダイナミックレンジはデシベル[dB]という単位で表現します。振幅が2倍だと(つまり1[bit]あたり)6[dB]のダイナミックレンジを持つと表現します。従って16[bit]では、96[dB]。
つまり、CDのダイナミックレンジは96[dB]であると言うことが出来ます。

高音質なデジタル音声ということで2496(にーよんくんろく)などと、業界で言われる数値があります。これは、サンプリング周波数を96[kHz]に、量子化ビット数を24[bit]にするということです。これにより、情報(音声のデジタルデータ)は3倍にふくれあがりますが、縦横の区切りがより細かくなるので、音がさらに良くなるというわけです。

2010年7月17日土曜日

32.縦に区切る─サンプリング

波形を数字に変換するには、<図30-2>にあったように、グラフを縦にも横にも細かく分割しなければ(目盛りを入れなければ)いけません。ここでは、その分割の意味を考えてみましょう。

では、まず縦の線について。
波形は時間による波の位置なので、縦の線は時間の流れを表します。左側に行くほど時間は古く、右側に行くほど時間は新しくなります。



波形を縦に区切ることをサンプリング(標本化)といいます。もう少し丁寧にいうなら、サンプリングとは、時間を細かく区切って、その細かい単位で波形の位置を得ることを意味します。

問題は、その時間の細かさです。この細かさのことをサンプリング周波数といいます。サンプリングは一定間隔に周期的に行うので、それを行う頻度を周波数で表すわけです。
CDでは、サンプリング周波数は44.1[kHz]です。一秒間を44100回分割します。分割した時間の長さは割り算すると、約22.7[μsec]。一般的にはデジタル音声信号は44.1[kHz]のサンプリング周波数であることが多いですが、より高品質な音声信号が必要な場合、さらに細かく分割した96[kHz]が用いられる場合もあります。
サンプリング周波数については、サンプリング定理という重要な法則があります。デジタル化された音声は、サンプリング周波数の1/2までの周波数しか記録できないという定理です。
例えば、CDなら44.1[kHz]の半分、22.05[kHz]までの音が記録できます。96[kHz]なら48[kHz]までの音が記録できます。
以前も書いたように、人間の可聴域は20[kHz]程度と言われていますから、CDに記録できる周波数は人間の可聴域をカバーしていると言うことが出来るでしょう。

2010年7月16日金曜日

31.ビットとバイト

ややコンピュータの一般教養的な話になりますが、知らない人もいると思うので、デジタルの世界でよく使われる基本的な単位の紹介をしておきましょう。

これまで、コンピュータのデータは0と1の値で記録されると言ってきました。この0か1かが記録される一つの情報量をビット[bit]と呼びます。例えば、5ビットというのは、0か1かのセットが五つあります。数学的に言えば、5桁の二進数です。十進数で言うと2の5乗、すなわち32までの数を格納できるということになります。

バイト[byte]はビットが8つ集まったものです。つまり、8桁の二進数です。十進数で言うと256。1[byte]の情報は1〜256までの数字を格納できるということです。

このようにコンピュータの世界では二進数が大活躍します(コンピュータ関係のエンジニアは二進数の代わりに、より使いやすい十六進数を用います)。一般の方は、二進数なんて当然使わなくてもいいのですが、コンピュータを使っていると、ときどき二進数を意識することがあります。
十進数で切りのいい値は、1,10,100,1000,10000といった数値ですが、二進数で切りのいい値を十進数で言うと、1,2,4,8,16,32,64,128,256,512,1024といった倍々の数字になります。
確かにパソコンのスペックってこういう数字が多いですよね。USBメモリやヘッドフォンステレオなんかもこういう数字がよく使われます。これは、コンピュータの世界では容量が常に2倍単位で増えていくからです。

通常、純粋にデジタルデータの容量を表現するときには、ほとんどの場合バイトを使います。ではビットはどんなときに使うかというと、より技術的な話になるのですが、一度に処理できるデータの桁数を表現するという用途が多いようです。

2010年7月12日月曜日

アフリカの若き息吹ー南アフリカ・カースニーカレッジ合唱団交流コンサート

本日、表記のコンサートに出演してきました。公式HPはココ
ウチの合唱団(ヴォア・ヴェール)のO氏が実行委員として深く関わってきたコンサートで、一応ウチが主催団体の一つとなっています。とはいえ、マネージはO氏に任せきりで、コンサートの裏方は全て静岡文化芸術大学の学生さんたちが行いました。
という感じで、なかば合唱祭に歌いにいくような気持ちで参加しましたが、カースニーカレッジの演奏の素晴らしさに、残念ながら我々の演奏はお客さんにとっては休憩時間にしかならなかったかも。

そんなわけで、今回のイベント、カースニーカレッジの演奏があまりに圧倒的で、私は一聴衆として大いに楽しんで聞きました。(合唱団用の座席を確保しておいてくれて本当に良かった)
今まで私が聴いた合唱のコンサートの中で、10本の指に入るくらい印象的なコンサートだったと言っていいでしょう。
はっきり言ってカースニーカレッジの演奏は、合唱というよりは芸能に近いのです。歌だけじゃないです。楽器、踊り、小芝居を織り交ぜた、トータルなエンターテインメントです。声ももちろん良いのだけれど、一人一人がマイクを持ってポップスターさながらに歌います。団員が民族楽器やドラム、ベース、サックスなどを演奏し、そして全員が一糸乱れず踊ります。かなりハードな踊りです。もうアフリカっの一言。そして合唱なのにPAも使います。
合唱でなくまるでJ-POPのコンサートのような、ノリノリになれる感動のコンサートでした。

カースニーカレッジ合唱団はプロフィールによると、数々のコンクールで受賞し、Musica Mundiの世界ランキングで現在17位、フォークロア合唱団としては第1位だそうな。(音楽団体に世界ランキングなんてあるのか・・・!?)
男声合唱団で、白人と黒人が半々程度。大柄で貫禄があるように見える指揮者は何と29歳だそうな。この人も大した実力を持っていると思われます。

日本で南アフリカの宗教的・民族的な音楽を聞くことはほとんどないでしょうから、今回の演奏会は思いがけず大変記憶に残る楽しいイベントとなりました。関係された皆様がた(特に文芸大の裏方の学生さんたち)、本当にご苦労様でした。
しかし、こんな面白いコンサートを無料にしなくてもいいのにね・・・。

2010年7月10日土曜日

2010参院選で思うこと

日本の政治は三流とか、質が低いとか言われます。国民の多くが、投票したいと思うような良い政治家がいないと思っているのではないでしょうか。
しかし、私は政治の質は国民の質だと思うのです。それは言うまでもなく、政治家は我々が選挙で選んでいるからです。質が低くて選びようがないから仕方がない、という意見もあるでしょうが、本当にそうでしょうか。今立候補している人から選んでも、もっと政治の質が高くなる選択肢はあるのではないでしょうか。

具体的に思うこと。
選挙前に雨後の竹の子のように出現した少数政党のマスコミの扱いです。選挙前はマスコミは公平になるように、各党に平等に発言権を与えます。ところが、国会議員の数が全然違う政党を公平に扱うために、国会勢力以上に少数政党の意見が国民に届いてしまいます。
一見これは悪くないように見えます。しかし、私の思うに少数政党は政権を自力で取る覚悟が基本的にないため、あり得ないような美辞麗句を並び立てるのが常套です。少数政党が最も輝くのは選挙の時だけ。ワンイシューで理念は立派です。その政策に現実性が無くても、選挙で党勢を拡大するのが目的なので、彼らはそれで良いのです。選挙が終われば、国会で目立たず、ただ反対を唱えるだけの存在です。
巨大政党は議員が多いだけに意見をまとめるのが難しく、また政権を取る可能性があれば、めちゃくちゃなことを言うわけにもいきません。
それをもって、意見がぶれるとか、理念がない、というのはいささか可哀想にも思えます(もちろん、これは大政党の改善すべきことです)。
いずれにしても、よほど自分の政治信条と重なるということがなければ、このような少数政党に投票するのは死票になるだけだと私は思います。

もう一つは、選挙は人物本位で選ぶべきか、ということ。
そもそも、政治家として良い人物ってどういう人物なんでしょう? 声がでかい人? 演説が上手い人? 自転車で走り回る庶民派な人? 熱血漢で何事にも熱い人? 力強く握手してくれる人? でも問題なのはこういった人たちが国会に行って、どんな仕事をしたかということ。ところが実際には、党議拘束にしばられて、党の方針に従っていることがほとんどじゃないでしょうか。
選挙はもちろん本質的には人物を選ぶことにあるけれど、現実的な選択としては、現状では党に票に入れるという考え方の方が正しいと感じます。

誰もが国家財政が危ないと思っているのに、多くの政党が消費税を上げなくても出来ることはある、といわれると何となくそう思えてしまいます。でも、その「出来ること」って官僚や政治家のコスト削減だけでは間に合わなくて、公務員のリストラとか、公共事業の削除とか、結局自分たちに跳ね返ってくることだったりするわけです。
世論調査を見る限り、ますます日本人が危険な選択をしそうで不安になる今日この頃。

2010年7月8日木曜日

天地明察/沖方丁

2010年本屋大賞受賞で今よく売れているのだそうです。内容が面白そうなので、早速読んでみました。
素晴らしい! 面白い! 泣ける! これは良い本です。特に、理系の技術者、研究者なら涙無しに読めないほど感動できるのではないでしょうか。

ときは江戸時代初期。幕府で碁を打つのが仕事である渋川春海は、算術(数学)にも傾倒しています。そんな春海が、関孝和との算術勝負や、日本各地の測量の仕事を任されたりしながら、日本独自の新しい暦を作り上げるまでを描いた、壮大な大河ドラマ。
超高度な数学を駆使し、地球の軌道を求め、そこから新しい暦を作り上げていくその歩みは、研究者の醍醐味そのもの。周囲の人たちの献身的な努力、春海を取り巻く恋愛模様、日蝕の予想を外して新暦作りがストップしてしまうといった挫折や近親者の死など幾多の苦難を乗り越えながら、大きな仕事を成していくさまはまさに爽快の一語です。
とはいえ、春海は単なる理系バカなどではなく、幕府内の人間模様、朝廷での勢力関係などを冷静に分析しつつ、高度に政治的な行動を取っていくあたり、今の理系人間に足りない何かをうまく表現しているようにも思えました。

序盤、22歳の春海と60近くにもなって少年のような心を持った建部、伊藤との学問的な交流には何度も目頭を熱くさせられます。3人が測量の結果に対して、誰が一番近い値を出すか競争するくだり、春海が大正解するのですが、「そなた、星の申し子か?」「いかなる神のご加護でございますか!?」などと歳の差を超えて素直に驚いてくれるその純真さが何とも気持ちが良いのです。
死ぬ直前、建部が「わしにも、天球儀を作るという大願がある・・・」なんていうのも、死ぬまで夢を追いかける研究バカって感じで泣けてきますね。

しかし、よくよく読むと渋川春海の人生自体、ドラマチックであり、こんな題材を良く探してきたものだと思います。歴史の教科書なら、単なる偉人の一人が「新しい暦を作った」で終わってしまうのだけど、その中に潜む人間模様を浮き上がらせ、江戸初期の風俗、政治、そして神道等に関する蘊蓄がふんだんに語られたこの小説、かなりの秀作です。ストーリーだけでなく、読むものの知識欲まで満たしてくれますよ。テレビドラマ化されるかも。


2010年7月4日日曜日

30.デジタルで音を表す

結局デジタルとは、情報を数値化するということです。音の情報も数値化さえ出来ればデジタルにすることができます。

では、音はどうやって数値化するのでしょう?
これまで何度か音を波形で見てきました。そうです!この波形をそのままデジタルにすればよいのです。波形のグラフを小さなマス目に描き、その位置を数字に記録していきます。当然マス目が細かいほど、元の音に近くなっていきます。

では、試しに波形を数値化してみましょう。
ある瞬間の音の波形を録ってみました(図30-1)。特にこの波形の赤で囲った部分をデジタル化してみましょう。

<図30-1 ある音を録音する>

上記の波形を拡大し、それを縦と横に線が入った方眼紙の上に置いてみます(図30-2)。

<図30-2 方眼紙の上に波形を置く>

縦の線と波形が交わる部分に途中まで赤く点を付けてみました。
この点の横軸の値を読み込んでいき、その数値をひたすら並べればデジタルデータの完成。これが音をデジタル化する作業です。

CDの中には、この数字の羅列が延々70分以上記録できるようになっています。CDを顕微鏡で見れば、アルミ箔の上に小さな凹みが付けられているだけです。この凹凸が0か1かを表し、それを10進数化すると、上記の数値が現れるというわけです。

2010年7月3日土曜日

29.デジタルとは

デジタルという言葉の印象は巷では必ずしも良くありません。
IT技術や、コンピュータや、インターネットを想起させ、そのブラックボックス化したシステムの中で勝手に大事なものを触っているような印象があるのでしょう。しかし、10年後、20年後、確実に世の中は変わっています。あなたが望まなくても、世の中のデータは全てデジタル化されていくことでしょう。

じゃあ、そもそもデジタルって何?と聞かれると、結局、概念的な答えになります。単純に言えば、コンピュータが扱えるデータ、のことであり、定義通りに言えば、0と1のみで構成されたデータということになります。コンピュータの中では、電子回路内の電圧が高い、低い(つまり0と1)だけで情報をやり取りするからです。
通常私たちが使う数は、二進数にすれば0と1のみになります。つまり、デジタルとは数字のみで作られたデータと言い変えることが可能です。

では、どうして、文字や、画像や、音を数字だけで表現することが出来るのでしょう。
これは一見、想像を絶することのように思えます。しかし、文字って何? 画像って何? そして音って何? ということを純粋に技術的に考えていくと、それほど大変なことでもないのです。
例えば、文字の場合は分かり易いと思います。全ての文字に番号を割り振ればよいのです。この割り振り方にいろいろ流儀があるため、コンピュータではときどき文字化けなんてことが起きてしまいます。

画像では、デジタル化したいデータを小さな正方形(画素、ピクセル)に分割します。小さな正方形では、色は一つのみです。例えば300万画素のデジカメは、一枚の写真に小さな画素が300万個あるのです。色の表現はRGB(赤緑青)の組み合わせで表現します。一画素のRの量、Gの量、Bの量を数値で表せば、その画素の色が決まります。その値を画素数分だけ持てば一枚の画像をデジタル化したことになります。