以前書いたように表現活動にとって「新しい」ことが目的ではないのです。誰だって、自分の表現したものが他人の琴線に触れ、感動を与えたということは嬉しいに違いありません。もしかしたら、人生の究極の目標とは、他人に感動を与え続けること、ではないかと私には思えます。
誰かに感動を与えたい、ということと、感動を与えてくれた誰かを賞賛したい、ということは表裏一体を成しているのではないでしょうか。感動したら嬉しいし、それを与えたくれた人には感謝することでしょう。その感謝の意を与えてくれた人に直接伝えるだけでなく、自分がさらに他の人に感動を与えることによって恩を返すという感覚もあると思います。
そして、自分が表現したものに感動したと言ってもらえれば、それは最高に嬉しいことです。こうやって、人々の間に感動を与える流れと、その感謝の意を表す流れがぐるぐる回ることによって、人間の文化活動は成り立っていると思うのです。
つまり、ここで一つ言いたいことは、自分が感動を与えたいのなら、自分が常に感動する人間であらねばならないということです。そして、自分が感動を得るために、積極的に行動しなければなりません。
日々の労働に追われ、雑事に追われていては、なかなかそういう余裕も起きないかもしれませんが、それが人に感動を与える小さな一歩だと思います。
本でも、映画でも、音楽でも、漫画でも、何か自分に感動を与えてくれるものを追い続ける作業こそ、自らがクリエイティヴであることの最低条件では無いでしょうか。
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