2008年2月24日日曜日

音符の力と音響の力

作曲技術には、二つの側面があるように思います。
「音符を配置する」技術と、「音響を作る」技術です。今の時代、両方とも作曲家が取り扱うべき仕事でもあるのですが、やはり作曲家によって、音符寄りの人と、音響寄りの人、など方向性の違いはあるような気がします。

音符を配置する技術は、例えば和声学のような学問が扱うことですが、リズム的な時間軸の要素もあります。アウトプットはあくまで楽譜であり、それ以上のことには無関心です。こういった技術の究極は、楽器を限定しなくても音楽として成り立つことであり、例えばバッハの「フーガの技法」といった作品などが、その究極の形として挙げられるかもしれません。

音響を作る技術は、例えば管弦楽法で代表されるような技術です。音そのものを重要視するので、楽譜だけでなく、楽器や奏法の指定、演奏する環境、そして録音に至るまで、幅広いことがらが検討すべき内容に入ってきます。
ところが、この音響の世界に入り込むと、自由に音が作れるシンセサイザーとか、複数の音を混ぜ合わせるミキサーとか、音響調整をするためのイコライザー、コンプレッサーとか、そういう技術的(機材的)な要素が最近では増えてきていて、今の時代、作曲家が扱うべき知識の世界が益々広がっていっています。

現代音楽系作曲家でも、音響指向の作曲家も多いです。
先日聴いた西村朗氏など、かなり音響系の作品だと感じました。それも電気技術を使わずに、ヘンテコな打楽器の使い方で変わった音を出すという、アナログちっくな音響系。
正直言って、聴衆の立場から言えば、作曲家が考えた音を直接聞かせられるという意味で、音響系の人が評価され易い傾向があるように思います。演奏効果も当然高いでしょうから。
ただ、今の時代、オーケストラ音楽だって打ち込みで出来るのですから、録音前提ならもはや音響系は何でもアリだし、その中でクリエイティヴであり続けるのはかなり大変なことかもしれませんね。

私自身は、どちらかというと音符系の作曲家のほうが好きかもしれません。バッハとかラヴェルとか、日本人なら三善晃あたりが音符系でしょうか。いや異論はありそうですけど。
もちろん、音響系の曲を書きたくないわけじゃありません。去年の課題曲の"U"なんて、思い切り音響系だし。でも、心のどこかで本当の音ではなくて、音符だけの力で音楽を制御し続けたいという、作曲家の本性のようなものがうずいていたりします。

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